愛知県の歴史 (1)古代 尾張の古代社会−尾張国正税帳の世界− 
もどる  目次へ  すすむ  
正税帳について


 正税帳というのは簡単に言ってしまうと、古代諸国の家計簿あるいは会計帳簿です。
 正税は主に田租(でんそ)と出挙(すいこ)があります。田租とは、税金の一種で、口分田の場合は1段につき2束2把というのがもともとの規定で、大まかに言うと収穫高の約3%です。また、出挙というのは一種の高利貸しですが、お金ではなく、稲を貸し付けます。だいたい春と夏の2回、頴稲という穂首刈りした稲を種もみ用に貸し付け、秋の収穫の時に利息分の稲と合わせて収納するというかたちになります。田租のほうは稲穂からはずした稲穀のかたちにして倉に蓄積していきます。その倉がいっぱいになると封をした不動倉として、例えば飢饉が起きた時に出して使用しますが、もっぱら蓄積します。一方、出挙のほうは頴稲のかたちで運営され、その利稲でもって地方の財源にあてていました。
 正税帳というのは、1年間に正税の収入がどれだけあって支出がどれだけあったかという諸国の収支決算報告書になります。毎年、正税帳使という使者がその正税帳をもって、地方から中央に報告に行きます。まず、中央の太政官に進上し、太政官から民部省という役所に送られ、主税寮というところで監査を受けることになっています。
 この正税帳はいわゆる上申文書ですので、解という書式で書かれています。まず、「○○国司解 申収納△△年正税事」ということがき・・・・で始まって、最初に首部として一国全体の前年度繰越、当年の収入・支出、次年度繰越の記載があり、その後に郡部としてそれぞれの郡ごとの前年度繰越、当年の収入・支出、次年度繰越の記載があります。最後は「以前△△年収納正税如件 仍付××申上以解(謹解)」というかたちで、このような解文の書式で送られたということになります。
 尾張国の正税帳だけではなく、正税帳は現在かなりいろんな国のものが残っています。それを表1に“現存正税帳一覧”としてまとめてあります。古い国の名前ですからわかりにくいかもしれませんが、国の名前をみますと、日本全国と言ってもいいくらい、正税帳というのは残っていますので、地域ごとの比較がしやすい興味深い資料になっています。戸籍のような律令公文は、原則として30年間保管して、30年経つと古いものから順番に写経所に払い下げられ、それが正倉院文書として残りますが、正税帳の場合はわりと再利用が早く、天平18年ぐらいの写経所の文書に再利用されていることが多いです。つまり一旦律令公文として正式に作られた書類が、十数年後には写経所の文書として使われていたことが多いということになります。


 残念ながら三河国の正税帳は残っていませんが、尾張国の場合は天平2年度と天平6年度の正税帳の2種類が残っています。天平2年度のものは2断簡しか残っていません。ここに残ったような正税帳はいずれもすべて断簡で、完全に最初から最後まで残っているものはありません。おそらく正税帳が巻物の状態で払い下げられ、それを写経所でラップのように少しずつ出しては小刀でカットし、事務帳簿として使っていたので、正税帳が元のかたちを全くとどめないでたくさん切られてしまっているわけです。幸いなことに尾張国正税帳の天平6年度のものは10断簡残っていて、それも最初の部分と最後の部分が残っているので他よりも恵まれているかもしれません。完全に残っているとは言えないわけですが、かなり多くの内容を含んでいるものになっています。  
もどる  目次へ  すすむ