愛知県の歴史地理―条里地割とその解釈をめぐって― 
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【条里とは何か】

 この条里についてもう少し基本的な説明をしますと、一般に条里と呼ばれているものは、いろんな要素が組み合わさって存在しています。第1の特色は、1町=109メートル単位の地割、現実の景観の中に作られた地割のことです。それから2つ目が、その地割を元に作られた地名の表示の仕方、そのシステムそのものについてです。
図2
図2 条里における土地表示の仕組み
 図2は、“条里における土地表示の仕組み”となっていますが、図が右から左に3つ並んでいて、一番右側に〔坪内の典型的地割形態〕というのがあります。この109メートル四方の正方形のスペース、これが一番小さなユニットになります。次に、真ん中の〔坪並〕は、この小さなユニットを6×6=36、正方形に並べて、全部で36町分の坪を集めたものを作ります。この36の坪が一番左の〔条と里〕というところのそれぞれの1マスになるのですが、この36並べたものをさらに並べていき、縦軸横軸どちらでも片方の軸に一条、二条、三条、四条、五条という数字を振っていきます。それと垂直に交わる軸に一里、二里、三里、四里と数字を振っていくわけです。こういう地名というか、場所を示すシステムを理念的には古代のそれぞれの国ごと、そして国の中にある郡ごとに条と里を設定してその中を細かく割っていくわけです。
 このように、建前上はある土地の場所を示すために、○○の国、○○郡、○○条、○○里、第○○ノ坪という言い方をすると、日本の中である土地が存在している場所を示すことが可能になるわけです。つまり、『土地を表示しつつ管理する』というシステムが条里の第2の特色になります。従って、この○○ノ坪とか○○条という地名が残っているのも、やはり条里の名残ということになります。
 普通、三条や四条というと、京都とか奈良のように都があったところに付くものだと思うわけですが、そういう都が全然ない地方にも○○条という地名が残っていたり、あるいは郡によっては北の条とか、東の条、南の条ということで、北条とか南条という言い方をするケースもあります。そういう地名が残っている場合は条里の名残ということになります。
 次に条里の第3の特色ですが、今挙げた2つの特色に基づいて、土地の管理と配分・配給を行う、つまり、「班田収授制」と呼ばれていたものがこの条里の目的だったのではないかと、とりあえずは考えられています。ここでちょっと引っかかるような言い方をしたのは、実はこの条里が何のために作られたのかということは、確実な証拠としてはよく分かっていないのです。「班田収授」を行ったということは、古代国家の公式な記録に残っていて、大化の改新から902年頃までは行っていたという建前になっています。その公式な記録の中に、「班田収授」を行うので条里を作れという命令が明確な形では一切存在しないのです。しかも「班田収授」に遡って作られたと思われる条里も一部には見つかっていて、この条里の本当の目的、最初の出発点が何であったのかということは意外にもよく分かっていないのです。一応、古代の、特に奈良時代頃の律令国家が「班田収授」に利用したものである、だからこそ、これだけ大掛かりな工事を行ったり、土地の名前をつけたりするという国家的な事業を行ったのだろうと想像されてきたわけです。

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