愛知県の歴史地理―条里地割とその解釈をめぐって― 
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愛知県に残る条里地割

【地形図に写し取られた地割】

 では条里とは何かということですが、まず愛知県に残っている条里の例を紹介したいと思います。
図1
図1 地形図(一宮インターチェンジ)に残る条里遺構の例
  図1は、中央に斜めに走っている道が名神高速道路で、岩倉市から稲沢市のあたりになります。このあたりはまだ田んぼや畑が残っていて、田んぼの畦道など非常に細く、軽トラックが通るような道というか、用水路が作り上げた区画というか、風景の中に残っている線があるわけです。こういう線のことを地面に作られた区画という事で「地割(ちわり、じわり)」と呼んでいます。条里の地割というのは、細かく見ていくと非常にゆがんでいるところも多いのですが、東西南北に沿った横の線、縦の線が等間隔で残っているという状態です。
 この四角の1つのサイズは一辺が約109メートル、昔の単位でいいますと、ちょうど1町にあたる長さになります。1町は60間です。この1町単位の四角いマスメのような地割が、現在に残されている条里の地割になります。この条里の地割は結論から言うと、古代から中世にかけて作られていったものが現在運がいい場所にだけ残っていて、我々も目にすることができるという非常に歴史的な存在です。愛知県は、この条里地割はあまり残っていません。それは非常に開発が進んで、現在残っている田畑が少ないというのが一番大きな理由です。
 この条里は単に地割だけから成っているものではなくて、ちょうど右下、赤く丸で囲ったところに「七ノ坪」という地名が残っています。これは条里の名残で、というのは、1町単位の109メートルの四角いマスメ1つ1つを坪と呼んでいたのです。その坪に一ノ坪、二ノ坪、三ノ坪という具合に36まで数字で番号を振っていました。これはその地名が残っているのです。ただこの七ノ坪の周りには条里の地割は残っていませんが、かなりきれいに区画されて現代の幾何学的な地割に置き換わってしまった状態になっています。
 

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