愛知県の歴史地理―条里地割とその解釈をめぐって― 
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はじめに

米家先生
米家泰作先生
   「愛知県の歴史地理−条里地割とその解釈をめぐって−」というタイトルで話をさせていただきます。
 まず歴史地理という普段聞き慣れない言葉ですが、地理学と歴史学の境界領域を歴史地理学と呼んでいます。この分野では主に、『自然と人の関係を歴史的に分析する』ということをやっていまして、研究している学者は大変少なく、歴史地理学会には500人ぐらいしか会員がいないという大変小さな境界領域です。ただ最近は、歴史学のほうからも環境史とか環境歴史学、“environmental history”というような言い方をするようになってきました。これもほぼ自然と人の関係を歴史的にみていくものであり、環境の時代にあった分野ではないかと思っています。
 この歴史地理の分野では、歴史遺産としての「景観」という考え方を非常に大事にしています。堅苦しく言えば「景観」、簡単にいうと「風景」ですが、我々が目にしているありふれた「風景」、「景観」も非常に歴史的な価値あるものだという考え方です。それは、その「風景」の中にあるいは土地の中に、その土地で営まれていた歴史が刻み込まれているのだと考えるからであり、特別に「文化景観」という言葉も用いたりします。これは、人が何らかの形で関わった「風景」、「景観」のことを指しています。このような「文化景観」が歴史地理学の対象になるわけですが、身近なところでいいますと都市の景観、あるいは農村の景観といったところがあります。都市景観ですと、例えば平安京や平城京といった「都城」、あるいは「国府」、中世になりますと「府中」、江戸時代になって「城下町」といった人間が作り上げた都市の景観、あるいは農村でいいますと、今日の話題の「条里」、「荘園」、あるいは江戸時代になって「新田開発」といったところが伝統的に歴史地理学のテーマになっています。

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