国際化と人権 
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ソマリア難民の援助プロジェクト


 多くの難民が、ソマリア本国から車や徒歩、船などでケニアへ移動します。“アフリカの角”で一番豊かな国はケニアなんですね。実際私がボランティア活動しているのは、そのケニアなのです。ソマリアではなかなかできません。ソマリアでは現在でも、赤十字とか、様々な団体の職員がかなり誘拐されています。だからなかなか近寄れないのです。
 ケニアの首都ナイロビから、飛行機で約一時間行ったところに、8万人の難民がいるキャンプがあります。そこで援助を行っています。 難民キャンプは国連と国際赤十字、そしてケニア政府が管理運営しています。国連は食糧の確保や難民の登録を、国際赤十字は医療や社会サービスを、ケニア政府は、土地や人材を提供し、警察官などを配備し、治安を守っています。
 難民キャンプでは、人々は、国連から支給されたテントに住んでいます。ソマリアの部族対立が内戦の原因にもなったように、キャンプ内でも、部族ごとに分かれて生活します。食糧は援助物資によってまかなわれ、人々は仕事もなく食べるだけの生活を送っています。
 難民キャンプの中でも、ルールをつくるなどして、小さな社会をつくっていきます。その8万人のキャンプをブロックごとに分けて、ブロックを組織するんです。その組織化を誰がやっているかというと、現地のソーシャルワーカーなんですね。だから何万人もの難民が、ただごちゃごちゃに住んでいるのではなくて、その中で医療班を決めたりして、小さな社会をつくってかないと、8万人なんて運営できません。小さな社会を組織することは、国際赤十字のスタッフは抜群にうまいですね。

 ケニアで、どういうボランティアをしたかということについてお話します。
 ボランティアの仕方はたいへん難しくて、援助の仕方を間違えると、大変なことになってしまいます。ひとつは、エチオピアであった話ですけれども、援助に依存してしまい、自分で職に就こうとか働こうという気持ちが一切なくなってしまったという問題です。何もしなくても援助で食べられたわけですから、自立を損なうのです。
 それから、地域を壊しかねない、部族の争いをまた起こしかねないということです。どういうことかというと、ある人にはこれだけの援助がいって、ある人にはいかないというのは不平等ではないか、と対立するのです。生きるか死ぬかのところですから、そういうことが起こりやすいわけです。
 というわけで、援助はたいへん慎重にやります。私が設立した団体は、小さな団体なので、食糧等を平等に配分するというのは難しいわけです。ですから、難民の中でも特に、障害を持った子供を援助の対象にすると言うと、皆、納得してくれるんですね。それは現地の人と話し合いながら進めていった結果決まったことです。
 ある特定の子供に奨学金を与えたりすると、食事もままならないという状況では、すごくいがみ合いの原因になったりするのです。そういう意味で、赤十字の人や、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の人や、現地の人たちといろいろ話し合った結果、障害児に対するちょっとした支援であれば、大きなもめごとにはならないというわけです。
 次にどういう子供を援助しているかについてですが、例えば、爆弾等で足がなくなってしまった子供たちに、杖とか車いすを贈っています。暗いテントの中で寝たきり状態という子供も多いのですが、贈った杖で、その子は外に出られるようになります。そういう医療などの援助をするボランティアをしているのです。
 小さな団体なので小さなことしかできません。障害児に対して、「何が今必要なのか」とか、「何か困っていることはないか」ということを聞きまわってくれる人を、日本の会員のお金を使って現地で雇うのです。そして難民キャンプを訪問してもらうという、ある意味でソーシャルワーカー的な役割を担ってもらうわけです。それを障害を持っている大人の難民にやってもらっています。だから障害を持っている大人が、障害を持っている子供に対して支援するというような形になります。
 援助のプロジェクトの内容で、重要なものとして、職業訓練プロジェクトというのがあります。障害児が、寝たきりになっているとか、おもてに出られない状況の中で、手に職をつけ、自分たちが生きていく力をつけるようなプロジェクトです。一時的にお金とか物をただ提供するだけでは、一時しのぎで、生きる力をつけたことにはならないですよね。ですからなるべく手に職をつけて、将来その子供たちが、障害を持っていても、自分の本国に帰ってからでも、職業に活かすことができるように計画しているということなんです。これも全部現地の人といろいろ話してつくった結果です。
 それともう一つの大きなプロジェクトは、病院をつくるということです。難民のための病院です。何万人もいる難民キャンプの中には、病院がないといけないというわけです。これには、皆同意してくれました。その病院をコミュニティの中心にするわけですね。その病院を保健教育、衛生教育のセンターにして、周りにいる難民の人たちにそれを教えていく。日本でいうと、一つの地域の中核を担うような広報センターにしていこうという発想が出てきました。
 実際このプロジェクトは、だいたい全部で通算して3年という目標を立てて行ないました。UNHCRという難民をつかさどる国連機関でも、必ず期限付きで援助するんですね。そうでないと、現地の人がずっと援助依存する可能性が大きくなるからです。

 次に、援助のしかたの具体的な内容についてお話したいと思います。ある意味でNGOというのは誰でもつくれるわけです。特に具体的な手順とかはなくて、もっとも効果的につくるにはどうしたらいいのかということで考えたのが、顔が見える援助ということです。他のNGOの団体でも、実際にやっているケースはあります。日本でいうと、日本人と現地の人とを1対1で結ぶということです。それを里親制度と言ったりします。里親制度というのは、実際に本当の子供にするということではなくて、特に誰がどの子を援助していくかを決めるということです。多くの場合、大量の募金を集めて送ると、それが実際何に使われているかわからない。それでは援助の動機が湧いてこないということがあるんですね。ですから、「自分はこの子に杖を」とか、「あの子に車いすを」といった形で、なるべく「顔が見える援助」をする。そういうことが、やはり動機としてはいいのではないかと思います。

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