国際化と人権 
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ソマリアの難民問題


 では初めにソマリアという国の解説をしていきます。
 今、ソマリアを実行支配している政府はありません。実際に暫定政権はあるのですけれども、それは首都の一部だけを統治しているだけで、実際にはソマリアという国そのものは依然として無政府状態です。だから、私がソマリアへ行ったときも、ちょっと危ない目にもあったりして、怖い思いをしました。
 何が一番怖かったかというと、いわゆる群集心理です。こういうことがありました。ソマリアの中で、反米集会、「アメリカ出ていけ」という集会をやっているんですね。そのとき、人々が熱狂的になっているのです。その反米集会は大体1000人とか2000人規模で行われます。それを私は近くで見ていました。なぜ中に入って行かなかったかというと、私が行く1週間前にジャーナリストが撲殺されたのです。なぜそうなったかというと、そのジャーナリストは、車でそういう集会の中に入って写真を撮ったのですね。相手は本当に生きるか死ぬか、食料が届くか届かないか、あるいはアメリカに家を爆撃されて、身内にもたくさん死亡者が出ている人たちの中で、パチパチ写真を撮っているわけです。現地では、カメラ一つ奪っても、家族が何年も暮らせるというような状況です。それに無政府状態ですから、警察とか裁判所とか病院などは全然ないのですね。そういう中で、海外から来て、カメラを持っているジャーナリストはあまりおもしろくなく見える。結局車から引きずり出されて、撲殺された。5人殺されたのです。それを私は知っていたので、そういうところに入っちゃいけないなと思って、遠くから見ていたのです。同じように車で、ガードマンを付けて。そうしたら知らないうちに取り囲まれていたのですね。そのときに、車をゆすられるわけです。この手で結局引きずり出されて殺されたのかな、これは絶体絶命だなと思っているときに、運良くアメリカの装甲車が反米集会の鎮圧に来たんですね。ちょうどそれと出会って、引きずり降ろされて殺されずにすみました。 熱狂した群集心理というのは止められない。そういうことをひしひしと感じました。

 ソマリアは赤道直下の“アフリカの角”といわれるところにあります。その角部分の隣がエチオピアで、その下がケニアですね。世界中から集まった緊急援助物資は、いったんケニアのナイロビ空港に集まり、ソマリアに向かって空輸されます。
 なぜソマリアで問題が起こったかというと、“アフリカの角”というのは石油の輸送経路のところに当たるんですね。だからその利権をめぐっての大国の争いがあって、ソビエトやアメリカが介入してきました。ところが1991年のソビエト連邦の崩壊とともに、軍事均衡を取らなくてもよくなって、結局大量の武器を残したまま、アメリカが撤退するんです。そこで、今までアメリカの支援を得ていたバーレ大統領が、アメリカの後ろ盾をなくした結果、部族の不満が噴出して、内戦になったわけです。
 ソマリアの首都モガディシオの空港には、PKO(国連平和維持活動)が介入しています。アメリカ軍中心のUN(多国籍軍)です。主な目的は援助物資の護衛です。なぜなら、輸送機がソマリアに着いて、貧しい人のところに物資が輸送されるのですが、その途中で、援助物資が強奪されるからです。当時の新聞の報道でいうと、70%の援助物資が強奪されたということです。その強奪された援助物資はどうなるかというと、武器を買う資金にするわけですね。だから、援助すればするほど武器が出回るという悪循環が起こっていました。援助物資を輸送する車は、絶対に途中で止まらないのです。僕が見ていたときも、二人くらい轢かれているのですが、絶対に止まらない。止まると全部強奪されてしまうからです。何百万人と飢餓状態にありましたから、それをまず助けるため、その援助物資がしっかり送られるための平和維持活動なのです。

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