では本題に入ることにします。
「障害者の権利宣言」から始めたいと思います。 これは1975年(昭和50年)に出されています。それからもう27年くらい経過していることになるのですが、ここに書かれていることが、どこまで現実になっているかを考えると、今読んでも、何もできていないに近いのではないかと思います。例えばこの第10項には、
障害者は、差別的、侮辱的又は下劣な性質をもつ、あらゆる搾取、あらゆる規則そしてあらゆる取り扱いから保護されるものとする。と書いてあります。 このようなことが全部で13項目書いてある権利宣言が出されました。だいたい日本は、国連とか世界的な刺激があるといろいろ動くという国のような気がしますが、昭和50年に権利宣言が出された日付を見てもらうと、12月9日になっています。12月9日は、この権利宣言を記念して、「障害者の日」になっているのです。
それから、昭和56年(1981年)は「国連障害者年」でした。このときのスローガンが「完全参加と平等」で、1年間いろいろ世界的に運動したはずです。あれから約20年経ちますが、本当に障害者の人も完全参加が達成されていて、平等になっているかというと、ここでも、まだそうではない現実があります。
その後、83年から92年まで、「国連障害者の10年」という運動がありました。それから、1993年(平成5年)に、これは日本の話ですけれど、「障害者対策に関する新長期計画」というものが出ました。このサブタイトルが「全員参加の社会づくりを目指して」というものです。その基本的考え方として、
- 障害者の主体性、自立性の確立
- すべての人の参加による、すべての人のための平等な社会づくり
- 障害の重度化、重複化、および障害者の高齢化への対応
- 施策の連携
- 「アジア・太平洋障害者の十年」への対応
もう一つ、実は、この新長期計画に関わる話で、「障害者プラン」が、平成8年から平成14年まであります。これは「ノーマライゼーション7ヵ年戦略」というサブタイトルがついておりますが、これは、ほとんど数値目標が基本で、施設をいくつ造るというものが中心になっています。これが今年度で一応完成を迎えて、その数値目標に向かって、今のところどのくらい達成しているかということが問われるところなんです。
これらが今年で全部終わってしまうものですから、たぶん今年度中に、新しい計画が出るだろうと言われています。
このように、一応日本も、政策的にもいろいろなことをやっているんです。しかし、どう考えても、障害児・障害者に対する差別や偏見は実質的になくなってないと思うのです。私は大学では「障害者福祉論」という授業を担当していて、だいたい2年生が受講しているのですが、毎週のようにレポートを書かせることにしているのです。そこでいろいろ書いてもらったものを見ると、「障害」ということを全然身近に感じていないし、感じるような社会の仕組みにもなっていないのです。小学校でも、障害児と一緒に同じクラスで勉強しているという人は多くないし、隔離教育みたいになっていて、障害者について全然知らないのですね。そういう意味で、やはり障害のことを知るということから、人権とか、障害をもっている人たちのことを考えることができるのじゃないか、そこから始まるのじゃないかと私は常日頃思っていました。
『知っていますか?障害者問題一問一答』(解放出版社)という本に、障害者差別をなくすには、第一に「個人の意識や価値観を変えること」、第二に「地域を変えること」、第三に「政治や行政のあり方、ひいては、社会のシステムそのものを変えること」と書いてあります。例えば、社会福祉学科に入学するような学生さんは、それなりに福祉に興味をもっておられる方が多いのですが、いかんせん障害について知らない。身近に障害を持った方がいない、障害を持った友達もいないということがあって、どういうふうに接していいかわからないのです。どういう実態なのか、どういう特徴があるのかということもわからないから、どのようにアプローチしたらいいかわからない。そこら辺が一番問題かなと思っています。
それから、自分の身近に障害を持っている方がいる場合に関してです。例えば自分の子供が障害を持っていることがわかると、それだけで、これからどうしようか、どうやってこの子と生きていこうかというお母さんが圧倒的です。その意味で普通の人が、子供を産んでみて初めて障害を身近に感じてしまうということも、何か問題があるのではないかと思います。効率や能力主義というのは、悪いことではないと思いますが、あまりにもそこに固執しすぎるのは問題です。障害を持っている方は、効率とか能力主義に関しては、相反する部分がありますので、どうしても、そのものさしからは落ちこぼれてしまいます。そこにこだわっていると、やはり差別、偏見につながるのではないかと思います。学生さんのレポートを見ていますと、ほぼ100%の人が、障害は自分とは関係のない別世界のものと思い込んでいます。社会福祉学科の学生さんでもそうなんです。
しかし、例えば、今クローズアップされている、脳外傷の問題があります。交通事故で、脳を打った外傷のせいで、記憶とか、感情の障害が顕著に表れるというものです。高次脳機能障害というのですが、この障害を受けている年齢群は、圧倒的に20歳前後が多いです。何故かというと、オートバイや車に乗っている人が事故を起こす確率がとても高いのです。それで、20歳前後の患者さんが一番多くて、今のところ身障者手帳には該当しない人たちも多くいるんです。だから、福祉サービスも受けられないという問題がある。今日皆さんも、帰りに事故を起こすと、脳外傷になる確率はあります。皆さんだって、明日から障害者になる可能性があるのです。
それから私は聴覚に関してやってきましたけれど、例えば突発性難聴というものがあります。だいたい片耳だけで、両耳が悪くなることはないのですけれど、明日から片方の耳が全然聞こえないということもあり得ます。したがって、「障害は別世界のもの」という意識は、何とかするべきではないのかと思っています。
障害の原因というのは、「先天的」が約5%です。ほとんどが「後天的」です。後天的な原因の中で、事故による障害が約20%、疾病による障害が約60%と言われています。学生さんもやはり、先天的に生まれつきの障害を持っている人のことを障害者だと思っています。その辺も実際とは違っていて、実は後天的な障害の方が数的には圧倒的に多いです。ですが、なかなか障害について知るチャンスもないままに、多くの方は成人してしまう。たまたま病気とか何かで、急に身近に障害者を抱えることになってびっくりして、慌てふためくというのが一般的なのかなと思っています。
それからさきほど言った、高齢者の問題もそうです。高齢者も障害者と状態や症状がほとんど変わらなくなってきますので、特に私の専門の耳の問題は、年を取れば大なり小なり耳が遠くなるわけで、ある意味では障害を持っていると言えると思います。耳が遠いということも、皆、障害と思わないかもしれませんけれども、実は身体障害者手帳の聴覚の4級に該当する確率が高いのです。全員ではないですが。そういう知識も持っていない人も多いと思います。