都市に棲む人々ー「ホームレス問題」とソーシャルワークー 
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ソーシャルワークとは何か


 私は『ホーボー』の本にたいへん興味を感じて、非常に多面的にホームレス問題を考えていきたいと今思っています。私自身も実はちょっと計画に着手したところなんですけど、寿でのソーシャルワーカーとしての経験がありますので、日本の『ホーボー』みたいな本を書いてみたいと思い、着手したところなんです。人間の現実というものは、歴史を超えて共通するものなんだと思っています。
 今、私はソーシャルワークという言葉をキーワードにこの大学で研究をしていこうと思っていますし、ソーシャルワーカーというアイデンティティで横浜で働いてまいりました。ソーシャルワークの形成というのは、このシカゴの社会学と非常に大きくリンクしているんです。ソーシャルワークの理論家というのは、ちょうど1920年代、19世紀後半から20世紀前半のアメリカの産業の近代化において、貧困問題が明確になってきた時に現れたんです。都市の問題などが非常に明確になってきて、そこに単なる宗教的な、あるいは慈善的な衝動ではなくて、こういう社会学的なデータをバックに、どう援助するのか、どうお金を出していくのかということを社会全体として考えて、実践的な援助をしていく。そういう一人ひとりのワーカーが必要になってきた。そういうところに、ソーシャルワークというものは形成されました。
 ソーシャルワークのアメリカでの研究者で、メアリ・リッチモンドという方が、『社会診断論』とか、『ソーシャルケースワークとは何か』という本を書いて、理論化を図ったんですけれども、それはシカゴ社会学の研究と非常に大きくリンクしていて、私はこの辺に大変関心を持っております。再度、社会学とソーシャルワーク研究がリンクして、明確なデータに基づいた社会問題へのアプローチというのをしてみたいと今思っているところなんです。そういう意味で、『ホーボー』を読みますと、この本を生み出した背景には、シカゴの社会局、シカゴ保健局、それから例えば中央慈善協会とか、青少年保護協会とか、シカゴ社会奉仕連合会とか、あるいはユダヤ人の組織とか、いろんなシカゴの組織が、この研究と調査をバックアップしていて、そのデータをもとに、シカゴでの様々なソーシャルワーク実践が展開されたんだろうと思っております。そこのところがあまりまだ明確に日本の中で文献がないんですけれども。
 ソーシャルワークの定義というのは非常にあいまいで、その社会によっていろいろ変わってくるんですが、やはり社会関係とか社会制度とか、そういった社会環境を通して人間を理解し、そしてその人を援助していくという一連の実践を、ソーシャルワークというように考えていただきたいと思います。ですから、別にホームレスだけじゃなく、どんな問題であっても、介入・援助が必要な人々にとっては、すべてソーシャルワークは成立していくだろうと思います。社会環境をどう見るかということがすごく大きなテーマなんですね。しかし一方社会というのは非常に曖昧模糊としていて、どの部分を切ったら社会かというのは、本当に難しいことですね。そういう意味で、私は特にこの大学で、例えば1年生になったばかりの若い学生たちと授業をするにあたって、一番苦しく思っているのは、社会経験がものすごく狭いということと、そういうものにほとんど目を開かないというところ、あるいはそういうものがこの大学の環境としては非常に隔絶されているということです。そういうことを含めて、ソーシャルなものをどうやったら彼らが獲得できるだろうか、何か日本の教育の中で非常に欠落しているもの、それをどうやって、大学で一から始められるだろうかというところで、いつも教壇で悶々としているんです。
 ホームレスの問題をソーシャルワークがどう捉えていくのかというのがたいへん重要なところで、調査する・研究するというのではなくて、その目の前に寝ている人に、どう声をかけていくのか、どうテントにいる人に関わっていくのか、これはもうソーシャルワークの仕事で、それを見ているだけではすまないという責任が、ソーシャルワーカーの方にはあります。
 アメリカで働いていた私の友人のソーシャルワーカーが、横浜の寿町に来たときに、「須藤さん、アメリカでは働いている人は、もしかして失業すると、すぐに自分もそうなるという危機感があるんですけど、日本ではそんなことはまったくないでしょう」とおっしゃっていたんです。日本という国は、非常にそこを区別している社会で、一見階層化していないようで非常に階層は明確なんですね。それはやっぱり他人事としてある。そういうところに、このホームレスという問題の日本での難しさがあると思います。

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