都市に棲む人々ー「ホームレス問題」とソーシャルワークー 
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『ホーボー・ホームレスの人たちの社会学』


須藤先生  私が最初に話してみようと思っておりますのは、ネルス・アンダーソンの『ホーボー・ホームレスの人たちの社会学』という本です。「ホーボー」というのは、スラングみたいな言葉なんですけど、ホームレス・マンという言葉がなまって、ホーボーというそうです。これはたいへん古い本です。この本は、1920年から30年、アメリカのシカゴで社会学がたいへん活発になり、移民がたくさん流入して、社会が非常に混沌としてきた中で生まれてきた、社会学の最大の知的遺産のひとつと言われてきました。この本の日本語訳が出版されたのはつい最近なんですが、私もこれを読んで、たいへんおもしろいと思いました。というのは、この本は1920年頃の話ですから、かなり時間が経っていますけれど、ここに描かれているホーボーの人たちの生活と、今の名古屋や横浜のホームレスの現実はちっとも変わらないという、その社会の連続性というのに私は非常に魅せられてしまうわけなんです。すでにこの時代、ホームレス・マンという言葉が本に出てくるんだそうです。それがホーボーというように言われている。それは一種、定着を求めないパイオニア的な人々というようなものも含めてホーボーと言っているんですけれども、その人々が、一概に定着を求めないのか、定着できないのか、その条件は非常に多様です。
 この『ホーボー』という本は、1920年代にシカゴ市が、大勢の流入するホームレスの人々に対して福祉の増進を図ろうとして、当時大学院生だったネルス・アンダーソンを含めたシカゴ大学の研究者が、合同で調査を進めた、その研究の成果の1冊なんです。細かい日常描写が、今の日本のホームレスの状況と不思議なほど似ていて、おもしろく思いました。
 シカゴ市は、そういう基本政策を進めるために、研究者と詳細な調査をしていく。こういうことが1920年代にすでに行われていたのです。私が残念に思うのは、そういうことが日本で行われないということです。そういう意味で、ネルス・アンダーソンがこの本の中で取り上げた、経済的に自立していた移動労働者についての研究は重要だと思います。彼らは最初はヨーロッパから移住してきて、普通に働いてきたわけですね。そしてその後に仕事がないために、社会的に転落していく。あるいはお酒で体を壊すとかして、転落していく。それは日本の現実と同じですけれども、この本では、それを近代産業社会の経済的諸機能の一つの側面なんだと言っています。冬が来るとか、不景気があって失業するとかして、労働力として衰退していく。そういうことが彼らをホームレス、本当のホーボーにしていってしまう大きな要因になるんですね。

 今日本でも、たいへんな不況が来ています。そして仕事がない。大きな開発はほとんど日本ではなくなりました。今唯一期待されているのが、目の前で進んでいるあの万博会場ですよね。ああいうプロジェクトが彼らを吸収していくんです。たいへん批判もあるし、私も日々壊されていく周りの自然を見てぞっとしてるんですけど、しかしあそこによって、日々の糧を得て生きていこうという、また違った流れの人間たちがいるというのも事実なんです。
 私が寿で聞いたときには、例えば関西の大震災の直後に、ものすごく仕事があって、あの後は何とか食べられたということです。そういうと、何かとても矛盾しているんですけど。災害で死んだ人もいる。しかしあの瓦礫の山を誰が片付けたかというと、そういった日雇い労働者といわれる釜ヶ崎の人々なんです。横浜や東京からも、深夜バスとか、普通の鉄道を使って、ときには無銭乗車という形で移動していった労働者もいたと思います。そういうふうに、社会というのは非常に複雑に成り立っているということなんです。その労働力なしに、神戸の復興はなかったかもしれませんね。
 労働力が年齢と共に衰退していくということも、社会的に転落していく大きな要因であるということは、『ホーボー』が書かれた時代も今も変わらないと思います。私が寿町に6年いて、彼らの様子を見ながら思ったのは、肉体労働をしてきた労働者たちとか、日雇い労働のような厳しい労働条件で働いてきた人の身体条件というのは、年齢を、全部10歳たしてみることが必要だということです。50歳の人は60歳、59歳の人は69歳の身体的な状態になってるんです。それはもう過酷な日常生活と、非常に問題のある栄養、そして厳しい労働環境、それが人の身体的な条件、内臓の条件から体の衰えを10年進めているという感じがいたします。

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