都市に棲む人々ー「ホームレス問題」とソーシャルワークー 
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はじめに


須藤先生  私は実は2年前まで、寿町という横浜の寄せ場、いわゆるドヤ街で、6年間、ソーシャルワーカーとして仕事をしておりました。東京の山谷、横浜の寿、そして大阪の釜ヶ崎を3大ドヤ街とよくいいます。ホームレスという言葉、そしてそこにいる人々と、今いるこの大学の環境とが、大きくかけ離れていて、ちょうど地球の裏と表にいるような、非常に不思議な気がいたします。
 私がここで、最初に言っておきたいのは、「ホームレス」という人々はいないんだ、ということです。今日本では中学の教科書にも「ホームレス」という言葉が出てきています。ああいう形で路上にいる人を見ると、「あれはホームレスだ」というふうに思って見ているそのまなざしが、「ホームレス」という言葉と人間とを結び付けてしまっている。そこに私はある種の苛立ちを感じているところなんですね。「ホームレス」という言葉が名詞化してしまっているということに、私は非常に危惧を感じています。私たちは「大学の人々」と言いますけど、そう言っても様々な人がいるんです。先生もいれば生徒もいる。事務の方もいれば、掃除している人もいる。大学「の」人々と同じように、ホームレス「の」人々という「の」に非常に重要な意味があると私は今思っているのです。しかし、ホームレス問題といってしまい、「ホームレス」というふうに人間をラベリングしていく力が非常に強いと、その結果、何か見失っていることがたくさんあると思います。その発想に、日本社会の非常に危機的なものを感じます。特に身近にそういう人々と接してきただけに、そう思います。そういうふうに人間を見たときには、人間を発見することはできないという感じがするんですね。そう考えて、この「の」というのを非常に大事に感じているところなんです。

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