今日はもっぱら落日信仰は日本人の信仰だということを前提にしたような形で話をしてきましたけれども、必ずしもそうではないのです。夕陽に対する信仰、思いというのはもっともっと普遍的なものだと私は思っています。
最後にその例を2つほど挙げたいと思います。
1つはアメリカの文豪ヘミングウェイであります。彼は、最期は猟銃で自殺をして、人生を自ら閉じた人であります。晩年、カリブ海のキーウェスト島というところに別荘を持って、いつもそこで暮らしていました。そのキーウェスト島というのは今日、落日を拝むための観光地として、アメリカ人に愛されている場所なのです。いつか飛行機の中でアメリカのある雑誌を見ておりましたら、ヘミングウェイ特集をしておりまして、その中にこのキーウェスト島の写真が何枚か出ていました。ヘミングウェイの住んでいた別荘も写されていました。そのキーウェスト島の西海岸の場面がありまして、これには驚きました。ずっと波打ち際にアメリカ本土からやって来た若い男女が腰を下ろして座っている。じっと向こうに沈んでいく太陽を見ている。そういう写真です。これは我々の感覚とまるで変わりがない。ヘミングウェイも我々の先祖が見ていた落日と同じ落日をどこかで見ていたかもしれない。そう思うと楽しくなります。
もう1つは南アフリカ連邦共和国のネルソン・マンデラという人のことです。南アフリカ共和国というのは、アパルトヘイトで悪名高い、人種差別の非常に激しかった国です。第二次世界大戦後、その差別撤廃のため立ち上がった政治指導者がネルソン・マンデラであります。そのために彼は28年間獄中に投ぜられました。その28年間の獄中生活を経てやっと出獄して、初めて黒人と白人が平等の国家、南アフリカ共和国をつくり、その初代の大統領に選出されました。その大統領の就任式が終わった後、記者会見が行われ、一人のジャーナリストがマンデラさんに質問をしました。
「あなたは28年間の苦難の時代を経てようやく新しい国家の大統領に就任された。今どういうことをやろうとお考えですか。」
それはおそらく、これからどういう政策を展開するつもりか、という質問だったと思います。それに対してネルソン・マンデラはしばらく考えて、こう答えました。
「夕方になって、縁側に出てデッキチェアに座って、クラシックを聴きながら落日を眺めていたい。」
私はその記事を新聞の片隅に発見して感動しました。何という奥の深い、洒落たセリフか。マンデラさんはおそらく、「今自分は五年後、十年後のことを考えているのではない。人類の将来を考えている。南アフリカ共和国が五十年後、百年後どういう国家になるか。そのことを静かに考えようとしているんだ。」そういうふうに答えようとしたのだと私は理解しました。それにしても、南アフリカ共和国から眺める落日はどのような落日かなと、今想像の翼をのばしているところであります。一度行ってみなければならない。夕陽信仰というのは普遍的な感情かもしれません。政治・外交・軍事のさまざまなレベルで民族と民族、国家と国家が対立している時代において、我々人類にとって唯一の最後に残された連帯の絆は、夕陽のような宇宙的なイメージかもしれない。そういう自然的なイメージを信じることからしか、新しい道は開けないのかもしれません。そういうことを思っているのであります。
時間になったようですので、これで終わりにいたします。ご静聴ありがとうございました。