夕焼け小焼けー日本人の自然観、生命観ー 
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『男はつらいよ』に登場する夕陽

 それからしばらくいたしまして、私はあの『男はつらいよ』の寅さんシリーズを撮り続けた山田洋次監督とお目にかかるチャンスがあり、いろいろ裏話を聞かせていただきました。
 そのとき、ふと山田さんがこういうことを言われました。
 「自分はあの『男はつらいよ』シリーズの各巻に、必ず夕陽の1シーンを入れることにしている。」
 こう言われて私は驚きました。確かに私もあれは好きでよく見ている。その中に印象的な夕焼けのシーンが出てくることも、若干記憶には残っていたのでありますが、これは知りませんでした。ああ山田さんも夕陽には格別の思いをお持ちだったんだなと思いました。その山田監督のイメージ、考え方が、あの寅さんシリーズを、あれだけ人気のあるシリーズにしたのではないかとさえ、私は思いました。夕陽は大事だよ。落日を拝む日本人の心を大事にしようではないかというメッセージですよ。それがジワーッと、あの映画を見た後、人々の心に浮かび上がってくる。そういう効果があったのではないか。
 そして、渥美さんが亡くなった後はもうあれは撮れない、と次に『学校』シリーズを作り始めましたよね。これには全部夕陽のシーンが出てきますよ。山田監督は最後まで夕陽にこだわるのでしょう。私はそのとき、「同志を得たな」という感じがいたしました。


柳田国男と子守唄

 実は柳田国男という民俗学者が、日本全国各地に伝えられた珍しい子守唄を採集しておりますが、その中にすばらしい子守唄があるんです。
親のない子は夕陽を拝む
親は夕陽の真中に
という子守唄であります。
 つまり、いつの時代でも親のない子はたくさんいるわけですよね。両親がそろっていても、夫婦喧嘩ばかりしていれば、これは「親のない子」も同然です。別れている親、毎日のように働きに出ている親の子供、これも「親のない子」のようなものです。寂しい子供です。それは今も昔も変わりはありません。そういう親を失っている寂しい子供たちは、夕方になると夕陽に向かうといいます。するとその夕陽の中に、親のイメージが現れる。子守唄の中の最高の作品ではありませんか。その親のイメージが、あるときは観音さまに変わる。お地蔵さんに変わることもある。仏さんになることもある。マリアさんに変わることもある。これはすごい文化だ。これこそが自然に対する信仰、日本人の生命観、自然観というものを最も素朴に表している事柄ではないかと私は思うようになりました。柳田国男という人はやはりすごい人だ、そう思うようになったのであります。

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