バルザック『人間喜劇』 
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「ゴリオ爺さん」を読む(一)


 バルザックがどんな人であったかという話も面白いのですが、今日はバルザックが書いた小説をいくつかご紹介したいと思います。
 いちばん有名なのは『ゴリオ爺さん』です。1835年、バルザックが36歳の時の作品です。舞台はパリのカルチエ・ラタンと呼ばれている地域、大学があって、学生たちがたくさん暮らしているところにある、しがない下宿屋ヴォケー館です。
 物語が展開する時代は、1819年の11月から翌年の2月にかけてのことです。下宿屋ヴォケー館には、7人の下宿人がいました。下宿人の一人がゴリオ爺さんです。ゴリオ爺さんはパスタの製造販売業者だったのですが、今では引退しています。働き者で商売上手だったので、相当の金持ちになっていました。早くに妻を亡くした後は、二人の娘に自分の愛情のすべてを注いで、甘やかしに甘やかして育て、娘たちを溺愛しています。姉のアナスタジーはレストー伯爵という貴族と結婚し、妹のデルフィーヌはニュッシンゲン男爵という銀行家と結婚しています。ゴリオ爺さんは、娘たちの結婚に際して、自分の財産のほとんどを持参金として与えてしまいます。多額の持参金があったので、姉は貴族と、妹は銀行家と結婚できたのです。

 ここで、フランスでは伝統的に結婚はどのようにして行われていたかをご説明します。まず財産と社会的地位のある家庭での場合です。親たちが家柄とか財産から見て、釣り合いのよい相手を選びます。娘は10代の末に親の選んだ相手と結婚します。通常は娘の意思は尊重されません。娘にはそれ相応の持参金を付けてやります。持参金なしの結婚はありません。お婿さんは30代から40代で、かなり年上です。男性は、自分の才覚で地位と財産を獲得してからとか、親戚から遺産相続をして、ある程度の財産ができてから結婚するのです。つまり結婚とは恋人同士の結びつきではなく、身分と身分、財産と財産の取引だったのです。相手を好きになって結婚するのではなく、単純にいえば持参金と結婚するわけです。当時、貴族とか金持ちのほとんどは地主でした。当時は企業というものはなく、勤めに出て月給をもらうということがなかったので、貴族の収入は土地からの収入くらいしかありませんでした。結婚には必ず持参金が問題になったのは、ある意味で当然だったかもしれません。結婚に際しては、夫婦が子どもを育て、親から受け継いだ土地や財産を子どもに引き継いでいくための、ある程度の経済的な保証が必要だったのです。
 たとえば20歳前後の妻と40代の夫では、子どもはできるでしょうが、しかしそのうちに必ず浮気が始まります。妻の方から言いますと、夫との関係は義務であって、これから始める浮気が本当の恋愛です。その相手は、通常はまだ結婚の条件のそろっていない、つまり未婚の若い男です。自分よりも年下のことが多いです。バルザック自身も、22歳のときに、近所に住む年上の奥さんを好きになりまして、愛人関係になります。この婦人はベルニー婦人といいますが、22歳年上で、当時は40代の半ば、7人の子どもの母親でした。バルザックとベルニー婦人の熱烈な恋愛は10年以上も続きます。ベルニー婦人もバルザックも、二人の関係を周囲に隠していません。結婚と不倫というのが『人間喜劇』の重要なテーマです。
 ゴリオ爺さんの娘たちも、しっかり愛人を作っています。愛人ができるとお金がいりますが、そのお金を夫からもらうわけにはいきません。通常は結婚するときに契約書を作りまして、持参金の中から、妻が自由に使える金額を決めてあります。ゴリオの娘たちにもそのような契約があったはずです。しかしそれだけでは足りなかったのでしょう。娘たちは父親のゴリオ爺さんに金を無心にくるのです。こうしてゴリオ爺さんは、娘たちに金をむしり取られて、ついには無一文になります。

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