『不可解な他者』表象 ―ハリウッド映画にみるアジア人― 
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<ハリウッド映画のオリエンタリズム>

 もともとニューヨークで作られていた映画がロサンゼルスやハリウッドの西海岸に移ってくるのは、1907年ぐらいだと言われています。ハリウッド映画というと、登場人物は金髪で青い目の白人というイメージが強いのですが、実は初期のころから白人以外の人種も描かれています。例えば1915年のグリフィスの有名な映画『国民の創生』は、南北戦争後のアメリカを描いた歴史ものと言えますが、南北戦争後に解放された黒人奴隷たちが、白人社会を脅かす危険な存在だというようなメッセージを投げかけている作品になっています。これは今では人種差別的な映画だと批判されていますが、当時は人種差別がまだ強く、そのメッセージに賛同する人たちもたくさんいました。黒人だけではなく、初期のハリウッドではアジア人がかなり描かれています。当時の東洋ブームをうけて、アジア人を登場させるハリウッド映画が作られているのです。
 その背景として、1つにはアメリカの拡張主義、帝国主義化があると思います。アメリカでは東から西に向かって開拓がどんどん進められ、1849年には西海岸に行き着いてしまい、金鉱が発見されたカリフォルニアではゴールドラッシュが始まります。その後アメリカは国力をさらに海の向こうのアジアに伸ばしてゆこうとし、アジアに対する関心・興味がこの時期非常に強くなってくるのです。
 同時に、ようやく開発が始まった西部では労働者不足となり、中国から安い労働力を供給しようとします。中国の貧しい農民の人たちは、アメリカに行けば一攫千金とばかりに、こぞってアメリカに渡ってゆきます。中国だけではなく日本も、明治維新の後はたくさんの移民をアメリカに送り出していきました。当時のアメリカには、アジアからの移民をどんどん受け入れる土壌があったのです。しかしながら、たくさんの移民をアジアから受け入れたはいいが、今度はアジア人移民と白人の労働者階級との間で仕事の取り合いになっていきます。そうすると、アメリカはもうあなたたちは要らないと、中国に対しては1882年に中国人排斥法を制定し、日本とは、今後移民を送らないと自粛させる条約である紳士協定を1908年に結んでいるのです。
 人種をターゲットにして移民を認めないということは、それまでのアメリカの移民政策の中ではほかに例を見ません。ヨーロッパ系において、特定の民族であるということを理由に移民を禁じられた人たちはいなかったのです。そういったことから考えると、アジア人に対しては取り込みながらも排除していくというアメリカの姿勢が、明らかに人種差別的なものであるとわかると思います。

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