『不可解な他者』表象 ―ハリウッド映画にみるアジア人― 
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<オリエンタリズム>

 中でも今日は、ハリウッド映画の中でアジア人がいかに描かれているかという点に焦点を当てて話をします。そのときに考えたい1つのキータームがオリエンタリズムというものです。オリエンタリズムについては、1979年にエドワード・サイードという学者がまさにこのタイトルで本を書き、この言葉を周知させましたが、現代思想を語る上で非常に重要なキータームと考えられています。西洋は東洋をどのように見るのか。この時見る主体である西洋は、東洋を客体として、すなわちよくわからない「不可解な」他者としてとらえるわけです。こういった構図の中で自然に、文明、知識、知性、男性といった主体的な優越的価値観を西洋が持つのに対して、東洋にはそれに対立する野蛮とか無知、感情、女性という価値観が付与されていきます。このようにして西洋の東洋に対する支配を正当化していく考え方を、オリエンタリズムと呼んでいます。
 これは、ヨーロッパ列強がアジアを植民地化していくときに巧妙に作られ、練り上げられていったシステムですが、決して過去のものではありません。今起こっているアフガン戦争はキリスト教とイスラム教の戦争だとよく言われます。そしてキリスト教とはヨーロッパ・アメリカを、イスラム教とは中近東・アジアを代表するととらえ、この戦争を民主的な西欧文明と遅れた野蛮な文明との対立とみなす人々がいます。これはまさにオリエンタリズムの考え方を反映しており、今でも根強く作用しているのです。サミュエル・ハンチントンはこのような考え方を1989年に『文明の衝突』で提示していますが、これがある種の危険な、すごく単純化された考え方であるということにも注意しなくてはいけないと思います。
 文明とはそのように相対立するものとして分けられてしまうのか。例えば今はどこの国に行っても洋服を着ている人がいますが、これは西洋のものだという意識を持っている人はほとんどいないのではないでしょうか。アラビア数字にしてもアラブで発明されたものですが、今やこの数字なしに私たちは物事を考えることができません。つまり、文明とは対立的なものに分けられるのではなく、お互いに混じり合って、複雑に関係しているものだと思うのです。それを、善と悪とか知性と感情のように対立的に定義づけていこうとすることは問題なのですが、こうしたとらえ方はとてもわかりやすいために今でも強い力を持っているのです。
 さらなる問題点は、そのように西洋が東洋を支配するという構図を東洋も受け入れて、それを逆に利用していってしまうというところです。アメリカを悪と決めつけるオサマ・ビンラディンはまさにこの構図に乗っかっていると思うのですが、それに対してまたアメリカが真っ向から敵対していくことは、オリエンタリズム的な考え方を繰り返していくものと言えるかもしれません。
 しかし、このわかりやすい対立の構造であるオリエンタリズムをよく見ると、これもわかりやすさの裏には複雑な部分を秘めています。それが人種・民族、ジェンダー、階級、セクシャリティなどの問題です。西洋と東洋の対立というと人種や民族の対立がすぐに頭に浮かぶと思うのですが、それだけではありません。つまり、社会における男性と女性の間にどうして力の不均衡が存在しているのかというジェンダーの問題。貧しい人と富む人がいて、そこにいろいろな摩擦が起こるのはなぜかという階級の問題。また、ゲイやレズビアンなど、同性愛の人たちはなぜ差別されるのかというセクシャリティの問題。こういった問題が、実はオリエンタリズムという明解な対立構造の中に複雑に組み込まれているのです。これを基本的な考え方として、今回はアジア人を描いたハリウッド映画を具体的に見ていきます。

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