メロドラマ・女性・イデオロギー 
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<メロドラマ全盛時代>

 アメリカのメロドラマ映画の全盛時代とは、ハリウッド古典映画時代と言われている30年代から50年代と考えていいでしょう。30年代は不況で、40年代には第二次大戦、そして50年代はアイゼンハワーが政権を取り、非常に保守的な時代に移行していったときです。ハリウッドをめぐる状況を簡単に説明しましょう。
 まず、撮影所システムがはっきりしていました。日本でも松竹、大映、東宝とそれぞれカラーが違うように、ワーナーならワーナー、ユニバーサルならユニバーサルという撮影所に分かれており、専属の監督がいて、スターシステムがはっきり出ていました。フォン・スタンバーグとマレーネ・ディートリッヒといったら、どういう作品であるかがわかるのです。
 こういう確立したシステムがある一方で、プロダクション・コード(PC)がありました。これは日本で言う映画の倫理規定です。プロダクション・コードは、暴力や性描写、男女がベッドの中へ実際に入るシーンを禁じるなど、非常に細かく規定しています。今や、麻薬やあからさまな性描写のある映画にあふれかえっていますが、アメリカではプロダクション・コードのもとに映画全盛時代を保持したのです。プロダクション・コードがあると表現が不自由で、制限されていて良くなかったのではないかと思われるかもしれませんが、そうではなく、むしろこういう制約が一層洗練された映画技術につながっていったわけです。ドイツから亡命したエルンスト・ルビッチは優れたロマンチック・コメディーを撮っていますが、例えば男女がベッドインするところを描いてはいけないというときに、ルビッチはベッドインがだめならばベッドインできない成熟した男女の映画を作ろうとするのです。つまり結婚するけれどもベッドインできない、じゃなぜできないのかというように、物語を展開させます。結果から見れば、ベッドシーンが全くないにもかかわらず大変エロティックで官能的な作品になるのです。
 50年代半ばから出てくるマッカーシーイズムも見落とすことはできません。マッカーシーという上院議員は冷戦後の反共主義を盾にハリウッドを抑圧しました。映画はヒットラーが看破したように最も有効なプロパガンダの手段であったからこそ、その影響力を恐れたのです。ハリウッド10と言われている有名な10人の監督、脚本家たちがつるし上げになり、あるいは俳優もみんな圧力を受けて、非常に不自由を強いられたという政治的な背景もありました。しかし、こういう状況のもとに映画が成熟していったということを忘れてはいけないでしょう。
 フロイドの精神分析がアメリカに与えた影響も重要です。メロドラマの中でもファミリーメロドラマと呼ばれる家族間の問題を主題化した多くの作品やメロドラマのサブ・ジャンルである女性映画(40年代に多く製作された、女性観客を対象に女性を主題化した映画)にその影響を見ることができます。例えば、フロイドの精神分析、父と娘の関係、あるいは葛藤というものが、ヒッチコックの『レベッカ』とか『疑惑の影』などに影を落としていることが分かります。
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