
政治的なイデオロギーの面から考えると、国家的な統一(National Identity)の必要性のために、これらの大衆小説が利用されていたという面があります。そのからくりを知るための鍵はビクトリアニズムにあります。ビクトリアニズムとは、19世紀にビクトリア朝のモラルの規範がアメリカに文化移入されて本国イギリス以上にアメリカの社会不安を反映し、人々を縛ったものです。ビクトリアニズムの道徳と抑圧ということを女性に関係付けてみるとどうなるでしょうか。まず、家庭の頂点にある父親のもとに家族の秩序が保たれているという家父長制度が前提としてあります。そして、家族の秩序とは結婚制度を基礎にしています。女性とは家庭の天使であって、家庭の中で母として自己犠牲を払い、妻として夫に尽くすのが理想の女性だという考え方が、19世紀のアメリカでほぼ完成されたビクトリアニズムでの女性の生き方となります。
では、家父長制度下でのビクトリアニズムと国家的統一はどのように結びつくのでしょうか。結局、家族とは、突きつめていくと国家につながるということです。家族の上に一般社会があり、その秩序の頂点に国家があるので、国家をきちんと安定させるためには家庭秩序を守っていかなければなりません。女の人が家庭の天使になっていなくては困るのです。シャーロット・テンプルのように身を誤ってはだめなわけで、結婚外の交渉を持ってはいけないという1つの教訓が『シャーロット・テンプル』であれ『コケット』であるのです。結婚制度から逸脱した女性は最終的には死という結末しか与えられないというプロットが、支配社会側にとっては非常に都合のいいプロットであったということが考えられます。しかし、逆の言い方をしますと、ビクトリアニズムの抑圧があまりに強いために、人々の不安がこのような作品を生んだといえるでしょう。いずれの作品も社会不安と切っても切れない関係があるのです。