ドイツ表現主義映画 ―人間の『活動写真』上の再生― 
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3.操作される人間

3−1 『カリガリ博士』

 『カリガリ博士』はドイツ表現主義の一番の傑作だと言われていますが、これは非常に不思議な映画です。
 死んでいた人間が目を覚ますという場面があります。カリガリ博士の小屋は見せ物小屋なのですが、映画はもともとはそういった見せ物小屋で上映されており、それほど高級な芸術ではなかったのです。ですから、その場面は映画の始まりを思い起こさせるようなものなのです。
 小屋ものぼりも斜めになっており、これがドイツ表現主義の特徴なのですが、ちゃんと真っすぐになった書き割りやセットではなく、非常に不安を与えるような不安定な構図になっています。どうやらこれは人間の狂気がそのままあらわれているような映画ではないか、ということがわかるのではないかと思います。つまり、今この場面が本当にあった場面なのか、それとも単なる妄想なのかということがわからなくなってしまうのです。まるで夢のような場面ということです。夢遊病者が眠りから覚めろと言われ、人造人間の常道に従ってとりあえず前に歩いていく場面では、すべるように、夢の存在のように歩くのです。それがもっと如実に出ている場面もあります。
 見物人の中で、何でも未来のことを知っているから聞いてみろと言われ、では僕はいつまで生きられるのかと聞いたら、明日までと言われるのです。結局その人は死んでしまいます。そのようなわけで周囲では殺人事件が次々と起こるのですが、どうやら夢遊病者を操ってカリガリ博士という悪いやつが殺人を犯しているようです。では真相は何だろうという話なのですが、いったいこれが夢なのか、どれが真実なのか、そういうことがわかりにくくなったものとして映像が目の前に出されるのです。
 今我々はカメラを通してあるリアルなものを見ているはずなのですが、ひょっとしたらそのリアルとは、カリガリ博士とは何だろうと、正体を暴きたいと思っている人の妄想なのかもしれないし、それとも本当なのか。カメラと主観とが重なり合って、カメラとこちら側で見る観客とが同一化してきて、イメージに操られる大衆というものが如実に象徴される作品になっているのです。つまり、イメージに操られる大衆ということが、どうやらナチスを生み出す大戦前のドイツの状況ではないかという分析もあるのです。

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