ドイツ表現主義映画 ―人間の『活動写真』上の再生― 
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3−2 『プラークの大学生』

 最後に、同じような妄想というのか、自分の投影した姿が出てきてしまうというモチーフとして、『プラークの大学生』を紹介します。
 鏡に映った自分が動き出すという場面がよくありますが、スクリーンは鏡だと、70年代にフランスの理論家たちがよく言いました。スクリーンとは、人間がそれを通して自分自身を見ている鏡ではないかと。そのような実態のなさとか、自己の投影とか、幻影があらわされているのです。
 悪魔と契約をし、いつものようにその映像が奥からこちらへと来る場面ですが、こういった鏡の枠から抜け出してこちらへ歩いてくるという場面は、例えば最近でもスピルバーグの『アーティフィシャル・インテリジェンス(AI)』という作品にありました。子供が最初にうちにやってくるとき戸口からこちらへ歩いてきますが、あれも人造人間の一番進化した形だと言えます。
 この話を通じて、映画とは光と機械の産物だと言ってきましたが、こちらの意識がだんだん投影されてくるようです。『アーティフィシャル・インテリジェンス』のテーマは愛情でした。その愛情、意識のかけ方がロボットに反映されてくるわけですが、その意識の反映として、映画自身もまたそういうものへと発展していくと言えるのではないでしょうか。

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