心理学からみた教育の隠れた次元 
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学校教育の“隠れた次元”

その2:子どもはどのように知らず知らずに学ぶか
 そのほかにも最近では、日本の学校教育が例えばアメリカの学校教育と比べて、どういう子どもに有利な学校教育になっているかという研究があります。つまり、教育には目標がありますが、あまりにも当たり前すぎて意識されない目標もあるのです。例えば学校にはいろいろなスローガンが書いてありますが、粘り強い子になるとか、最後までやり遂げようとか、当たり前のスローガンなのです。そんなのは日本の学校にはたくさんありますね。子どもの学習場面での個性の問題は、心理学では認知スタイルという言葉で記述され、研究されています。
 認知スタイルには熟慮型と衝動型というようなものがあります。熟慮型とは、1つの課題に取り組んだときに時間がかかるが正確にできるというものです。衝動型とは、早いけれども間違いが多いというものです。子どもの気質からして、どの文化の中にも熟慮型と衝動型という2つのタイプの子どもがいるのです。
 ところが、文化によっては特定の認知スタイルに有利な方向づけが、思わず知らずのうちに学校の中で行われていることがあります。例えば日本の場合には、熟慮型の認知スタイルを持った子どもに圧倒的に有利な学校教育の体制ができ上がっています。衝動型の子どもには、いろいろなところでそれが不利益になっていきます。子どもが持っている固有の傾向性があり、言葉は悪いですが、ある意味では衝動型の子どもの方が創造的だということもあります。日本の学校教育では非常に低学年の段階から何を奨励しているかというと、すべての子どもが熟慮型になるようにという方向づけをしているのです。
 ここでは具体的には言いませんが、比較的*盛徳的*な素因に基づく傾向として持っていたような学習のタイプが、特定のタイプに修練していくような方向で推量づけされることにより、例えば衝動型の素因を持った子どもには不利に働くことがあります。こういうことも学校教育の中ではあまり意識されていないだろうと思います。実際にアメリカと日本の小学校の中でどんなことが行われているかを比較してみると、日本で行われていることは明らかにすべての子どもを熟慮型に育てる教育なのです。
 そのあたりのことを詳しく話せないのが残念ですが、アッという間の1時間半であり、たぶん半分ぐらいしか話していないと思います。ご質問があればそこで少し補わせていただくということで、やや途中ですが、私の話はこれで一区切りつけたいと思います。どうもありがとうございました。

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