ノンネイティブスピーカーの英語 …英語学… 
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日本における英語

●恵まれた学習環境
 日本はEFL(English as a Foreign Language)の国で、英語ができなくとも普通に生活ができ、学校で数学や理科の点が悪くなることもありません。日本は単一言語国家に非常に近いのです。イギリス人の95%がイングリッシュ・スピーカーズであるといわれていますが、日本では日本語以外の韓国・朝鮮語とかアイヌ語などのネイティブスピーカーがおられても数が極めて少なく、100%に近い人たちが日本語を使って生活しています。これは世界的にも非常に珍しいそうです。日本語が公用語だと決められているわけではありませんが、ほとんどの人が日本語を使っているのです。
 このような日本で英語を学ぶ、あるいは使うことの意義はどこにあるのでしょうか。シンガポールのような社会的プレッシャーはまずなく、職も英語ができなくても大体得られます。去年就職委員をした私は幾つか企業を回りましたが、英語は全くできなくてもいいという会社もありました。
 ところが、日本人は英語を学ぶ手段に非常に恵まれています。タイの「The Nation(ザ・ネーション)」という英字新聞の編集長は、日本では英語を学習する手段は皆がうらやむぐらい恵まれており、教材も豊富であるという記事を書いています。教材は今ではテキストだけではなく、CD−ROMとかマルチメディア教材など、いろいろなものが出ています。また、Assistant Language Teacher(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)というネイティブスピーカーの先生も多く、公立学校でも英語を教えているところがあります。英語学校や外国語学校も非常に多く、駅前留学という言葉も使われていますが、多くの日本人が外国語を、特に英語を学習しています。
 ちょっと手を伸ばせば英語を学習できる機会はどこにでもあります。例えばラジオでも、名古屋には「RADIO−i」と「ZIP−FM」というFMステーションがあり、ネイティブのディスクジョッキーが英語で曲を紹介しています。また、衛星放送ではイギリスBBCやアメリカのCNN、ABCなどの英語圏の番組が見られます。このように、英語が日常生活にかなり入り込んできています。
 つまり、英語が学習の対象である時代は終わったのではないでしょうか。単に学習するためのものではなく、英語で話したり情報を得たり、実際に英語を使って何かをするという時代がきているのではないでしょうか。現在非常に多くの情報がインターネットから得られますが、世界の82%の情報が英語なのです。例えば、ダイアナ妃が亡くなったときに、ウェブサイトにはお悔やみの言葉が書けて、彼女の追悼行事がいつどこであるという情報が即時にわかりました。また、ホワイトハウスのホームページをのぞけばいろいろな情報が得られます。今は読みこなす能力があれば、インターネットを通して情報が得られ、自分で発信することもできます。
 今は小・中学校では大体コンピュータの部屋がありますが、最近、英語の時間に外国の学校とやりとりをする実践報告をよくききます。例えばこちらが17歳で、英語のレベルがこのぐらいだといって募集をし、条件がうまく合えば海外のクラスと電子メールのやりとりができます。静岡県の高校の例では、ノンネイティブの国であるブラジルとオーストリアの高校生と、1年間英語のメールのやりとりをしたという報告がありました。デジカメで写した自分たちの顔をメールで送りあえば、自分の相手がよくわかります。向こうからは、何をやっているのか等々いろんなことをきかれるので、結局は自分のことを見つめ直し、英語で自分のことを説明する練習になり、相手にも質問をしたりするのです。最終的には文集を作り、プレゼントの交換で終わったということで、新聞にも載ったそうですが、このような報告は中学校から大学まで今かなり出てきています。こういうことは今までになかったと思います。
●ビジネスの世界における英語
 日産自動車では、英語が準共通語となり、トヨタでは、TOEICという試験で、ある点数以上を取らなければ昇進ができなくなっているという状況があります。TOEICは英語によるコミュニケーション能力を測定するテストとして作られたもので、企業などで使われています。大学生にも受けるように指導するのですが、TOEICの点数が昇進を左右する日本企業もでてきているのです。
●外からの英語による発信の要請
 グレン・フクシマ氏によると、国際的な場に日本人が出ていく場合、70年代、80年代には日本人参加者の行動様式は3Sだと言われていたそうです。3つのSのうち1つはSmile(スマイル)で、もう1つはSilent(サイレント)、何も言わないということ。もう1つはSleep(スリープ)、居眠りです。国際的な会議で寝ているか、微笑んでいるか、黙っているかと言われていたのですが、70〜80年代にはアジアからは日本だけが参加しており、ほかは英語のネイティブスピーカーが多かったので、ノンネイティブスピーカーだから積極的に発言できないというのがあったのかもしれません。
 80年代、90年代には、香港やシンガポール、インドなどが国際会議に参加するようになると、これらの国の人たちが積極的に発言をし始めたのだそうです。香港もインドもシンガポールも英植民地として、イングリッシュ・スピーキングの国に一度は占領された歴史を持っており、日本は植民地の経験がないために日本人は英語能力が低いのではないかと考えられていたそうです。現在では、日本同様にEFLの国で、英米の植民地になったことのない韓国や中国やタイも、国際舞台の場に一緒に立つような機会が増えてきたのですが、これらの国々の人たちも幅広い分野で積極的に発言をし始めました。そうすると、植民地の経験がないから英語でなかなか発信ができないという言い訳が、使えなくなってしまったのです。
 話を外に向けてしなければ何を考えているかわからないので、もっと積極的に発信をしてほしいという要望がアジアの人たちからあり、先程のタイの英字新聞の編集長はこのように書いています。もっと英語で発信してほしい。インドネシアの人もシンガポールの人もタイの人も、ASEANの会合ではお互いに英語で話をしている。日本人はたくさんの通訳を連れてやってくるが、もっと自分の声で発信をしてほしいと。
 日本人が英語で発信できないことにはいろいろな原因があると思うのですが、英語能力が低いことも1つの原因となり、外への発信が足りないというように外から見える状況を作り出しているのではないかと思われます。

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