慶長15年に家康公が第9子・義直のために加藤・前田など多くの大名に命じ築城した城郭です。家康公はまず佐久間ら5大名を普請奉行に任じ、慶長15年3月加藤清正公を総大将として城郭普請に取り掛かりました。手代の大名23頭は次々と名古屋に到着し帳場割に従い工事が始まり、かくして慶長17年5月に、城郭全体が竣工しました。その竣工式に加藤清正公が美童を着飾らせて唄を唄わせて、自らも烏帽子兜に陣羽織、そして日の丸の軍扇を開いて巨石の上に立ち華々しく木遣り唄の音頭を取ったという話はあまりにも有名です。それ以後木遣りは、尾張地方一帯には今なお受け継がれているということです。 |
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