現代哲学からのアプローチ・・・「グローバル化する現代と伝統文化」 
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1 信頼の低下とコミュニティの矮小化



 「歴史は終焉した」とするフランシス・フクヤマも、リベラルな民主主義が世界中を席捲して、それに代わるイデオロギーは出てこないと言っていたが、近年、個人主義化した社会の弊害を説くようになりました。すなわち、「リベラルな民主主義は、何らかの共通した文化的価値が適切に機能していて初めて成立する」とし、個人主義的文化の問題点として、
 1. 協同的な営みの前提条件としてのルールの否定
 2. コミュニティの喪失
 を挙げています。
 1の「ルールの否定」というのは、個人主義ですが、一種の自閉した身勝手さへ変貌しつつあります。他者への責任を考慮することもなく、個人の自由を最大限に追求することが目的そのものとなってしまい現代の思想の中でも、自由を極限まで推し進める人たちもでてきています。しかしこのフクヤマは、それに対して批判的です。価値観・規範・経験を共有することが、社会資本であり、それと同時にコミュニティが、矮小化して小型化している、つまり自分の利害関心に及ぶとこだけしか社会的意識が及ばない、これが「コミュニティの小型化」です。私が考えるに、単に市民個人の利害関心の延長上にある小型のコミュニティは、プライベートの領域に属しています。それが公的な秩序とどのように関係していくかが問題なのですが、現代においては、プライベートの領域のコミュニティで関心が留まっています。プライベートな領域と公共的な領域との区別を哲学的に一番深く論じたのが、ハンナ・アレント(政治哲学者)の「人間の条件」です。ここで重要なのが、フクヤマも強調しているように、「信頼」の基盤です。ある意味では、個人の利害関心の延長上にあるコミュニティではなくて、それを打ち破ることができるものが、「伝統」の中に見出すことができるかどうかを問題としたい。問題はその伝統が、排他性・分離主義な特徴をもつようになるのです。それらの要素をもたないような価値観が伝統の中にあるかどうかを考えてみたいと思います。
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