平成30年度愛知県民俗芸能大会〜清須市大会〜

 愛知県教育委員会では、無形民俗文化財の指定・未指定を問わず愛知県内に伝承されている民俗芸能を公開し、その鑑賞を通して民俗芸能をはじめとした伝統文化に対する理解と認識を深め、民俗芸能の保存・伝承を図るため、昭和48年度から愛知県民俗芸能大会を開催しています。

<開催日> 平成30年9月23日(日・祝)
<場 所> 清須市清洲市民センター
<主 催> 愛知県教育委員会  清須市教育委員会

えんちょこじし
えんちょこ獅子・・・昭和40.5.21 県指定無形民俗文化財

 「えんちょこ獅子」は、今から約300年前の元禄年間(1688〜1704)に始まったと伝えられています。高浜市は、その昔用水不便の地であったことから、祭は、ほとんど雨乞いや雨が降ったことへの感謝の祭であったそうです。
 このような風土と伝統の中で、「森前地区」(現在の青木町)に伝承されてきたのが「えんちょこ獅子」です。この「えんちょこ獅子」の名の由来は、「宴の座の獅子がなまった」とか「獅子舞の大変上手な人の名」をとったとか言われていますが、定かではありません。高浜の「えんちょこ獅子」は、昭和40年5月に愛知県無形民俗文化財として指定されています。

<出演団体> えんちょこ獅子保存会(高浜市)
<上  演> 「鬼みちまつり」 森前公園(10月第2又は第3土曜日)


ちりゅうのだしぶんらく
知立の山車文楽・・・平成2.3.29 国指定重要無形民俗文化財

 知立の山車文楽は、義太夫の語りや三味線の音色に合わせて3人の人形遣いが一体となって人形を操り、浄瑠璃芝居を演じます。現在は1体の人形を3人で操る三人遣いで演じられていますが、この形になったのは宝暦11年(1761)頃のことで、それ以前は一人遣いであったようです。現在、山車文楽を上演しているのは山町・中新町・本町・宝町の4町で、演目は「二人三番叟」「傾城阿波鳴戸」「伊達娘恋緋鹿子」「壺坂観音霊験記」などがあります。このような人形芝居が山車の上で上演される形態は、知立でしか見られないものとなっています。山車文楽とからくりは平成2年(1990)に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年(2016)にユネスコ無形文化遺産に登録されています。

<出演団体> 知立山車文楽保存会 中新町人形連(知立市)
<上  演> 「知立まつり(本祭)」 知立市文化会館・知立神社(隔年5月2日・3日)


いたやままんざい
板山万歳・・・平成21.5.1 市指定無形民俗文化財

 板山万歳は、初代家元山本重光の修行・努力の結果として、知多市八幡(寺本)から伝承されたもので、尾張万歳の流れを組む万歳です。万歳には、家の軒先でやる門付万歳、お座敷でやる御殿万歳、三味線・胡弓・鼓の鳴物を持ってやる三曲万歳があります。また、万歳の基本は、扇子を持って祝詩を唱える太夫と、鼓をたたいて合いの手を入れる才蔵とで演じられます。
 家元の重光は、知人・友人とともに御殿万歳「成岩板山 光丸一行」を結成し、門付万歳として、東京や名古屋へと巡回を重ね、昭和45年まで万歳の普及に努めました。その後は、2代目師匠を山本吉夫が受け継ぎ、家元は山本悟秋が継承し、現在に至っています。

<出演団体> 愛知・半田・板山万歳保存会(半田市)
<上  演> 板山ふれあいセンター等(不定期)


きやり
木遣・・・平成5.3.31 町指定無形民俗文化財

 豊山町で木遣り唄を歌うようになったのは、今から約100年以上前からと考えられています。春日井市白山町に位置する白山神社の境内に、成瀬公木遣の碑が建立されており、その裏側には豊山町(豊場)に在住する諸氏の名前が記されています。
 大正5年、町の氏神様八所神社御拝殿の竣工式に、木遣り唄を歌い棒振りを奉納したと記されています。町の公共施設ができてからはそれを利用するようになりました。昭和44年(1969)豊山木遣保存会が発足し、当時から年中行事として、旧歴の2月1日(重ねの朔)には町内の厄年(41歳、42歳、43歳、還暦、喜寿)の各宿元から、八所神社へ鏡餅の奉納に、木遣り唄を歌い先達を努めています。平成5年(1993)には、豊山町無形民俗文化財に指定され、毎週稽古に励んでいます。

<出演団体> 豊山木遣保存会(豊山町)
<上  演> 八所神社、豊山町社会教育センター(旧暦2月の朔、11月上旬)


ながくてのぼうのて
長久手の棒の手・・・昭和31.6.21 県指定無形民俗文化財

 棒の手は、愛知県の代表的な民俗芸能の一つで、多くの市町で県の無形民俗文化財に指定されています。その起源ははっきりした資料がなく定説がありません。
 棒の手の演技は、定型的な動作「手(型)」が基本で、「手」をいくつも組み合わせて一つの演目とし、棒・木太刀での演技を「表型」、キレモノといわれる刃物を使う演技が「裏型」とされています。初期のものは動きも少なく「手」の数も種類も多くありませんでしたが、他の武芸の影響を受けて内容が大きく変わってきたようです。長久手市には「起倒流」「見当流」「鷹羽検藤流」「藤牧検藤流」の4流派があり、それぞれ型や得物に特徴があります。

<出演団体> 長久手市棒の手保存会(長久手市)
<上  演> 景行天皇社、石作神社、多度社、熊野社、神明社(10月7日(第1・2日曜日))


おわりにしびわじままつり よりともしゃのまつりばやし
尾張西枇杷島まつり 頼朝車の祭囃子

 西枇杷島まつりに山車が登場したのは江戸時代 享和二年(1802)のことです。当時盛大に行われていた名古屋東照宮祭の影響を強く受けています。第二次大戦で名古屋東照宮の山車が焼失してしまい、現在その姿を残す数少ない祭の一つになっています。
 お囃子も東照宮祭のものを受け継いでおり、200年以上続いています。そのお囃子は名古屋在住の能楽笛方藤田流の教えを受けています。曲目も能の囃子をアレンジし、優雅で勇壮な曲が多く使われています。楽器も能管・太鼓・小鼓を用い、能の太鼓の代わりに大太鼓を使用しています。木遣りは山車を曳き出す際に楫方を元気づけるために唄われるもので、西枇杷島まつり5輌の山車の中では、現在、問屋町にしか残っていません。

<出演団体> 問屋町山車保存会(清須市)
<上  演> 「尾張西枇杷島まつり」 橋詰神社周辺の美濃路(6月第1土・日曜日)

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