平成29年度愛知県民俗芸能大会〜半田市大会〜

 愛知県教育委員会では、無形民俗文化財の指定・未指定を問わず愛知県内に伝承されている民俗芸能を公開し、その鑑賞を通して民俗芸能をはじめとした伝統文化に対する理解と認識を深め、民俗芸能の保存・伝承を図るため、昭和48年度から愛知県民俗芸能大会を開催しています。

<開催日> 平成29年9月17日(日)
<場 所> 半田市福祉文化会館
<主 催> 愛知県教育委員会  半田市  半田市教育委員会

オープニング D.D.M COMPANY


すなりまつりのだんじりぶねぎょうじとみよしながし
須成祭の車楽船行事と神葭流し・・・平成24.3.8 国指定重要無形民俗文化財

 須成祭は、蟹江町北部の須成地区にある冨吉建速神社・八剱社の祭礼で、まちの中心を流れる蟹江川を舞台として行われる川祭りです。牛頭天王信仰のもと疫病退散を祈願して行うもので、400年あまりの歴史があるとされ、平成24年には国の重要無形民俗文化財に指定され、昨年には、33の祭りで構成される「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
 須成鼓笛保存会は、須成祭の祭囃子の伝承を目的として昭和50年に発足されました。車楽船の上で演奏される祭囃子の伝承・指導を行うとともに、神社境内において稚児を迎えるときに欠かせない神子太鼓の演奏をするなど、重要な役目を果たしています。
 今回は、神子太鼓の中から、何曲かを披露いたします。力強い演奏を是非お聞き下さい。

<出演団体> 須成鼓笛保存会(海部郡蟹江町大字須成)
<上  演> 冨吉建速神社・八剱社(8月第1土・日曜日)


まんどまつり
万燈祭・・・平成12.11.21 県指定無形民俗文化財

 宝暦6年(1756年)に建立された秋葉堂(現在の秋葉社)は、火伏せの神として信仰を集め、祭礼が行われていました。古文書の「刈谷町庄屋留帳」によると、安永7年(1778年)の祭礼に笛や太鼓にあわせて万燈が登場したとの記述が見られ、現在ではこれを起源とし、昭和の初期頃から「万燈祭」と称されるようになりました。また、嘉永5年(1852年)には、秋葉社においての雨乞い祈願に万燈が登場したとの記述も見られ、後の語り草となるほどの御利益があったとのことから、雨乞い祭りとしても古くから言い伝えられています。
 今回は、大万燈がちりりとチャラボラの異なるお囃子に合わせて舞う姿をご覧ください。

<出演団体> 刈谷万燈保存会(刈谷市広小路)
<上  演> 秋葉神社付近(7月最終土・日曜日)


いたやまししまい
板山獅子舞・・・平成9.10.17 県指定無形民俗文化財

 板山の獅子舞は、昔から春祭時に農民が氏神様に奉納するために演じられてきたもので、秋の豊作祈願や厄除けなど、大変めでたい獅子舞です。
 天保6年(1835年)頃に現在の江南市より知多半島に伝わってきたといわれ、かつては、氏神である八幡神社で毎月1日に奉納されていました。その後、一旦途絶えましたが、昭和53年(1978年)に板山獅子舞保存会を結成し、毎年春の祭礼時に八幡神社で奉納する他、東京の国立劇場やオランダなどでも公演を行ってきました。
 男性が黒紋付き、紺股引き、白足袋の衣裳で左手にヌサ、右手に鈴を掛けたり、番傘を跳んだりするなど演技の難しい舞です。
 今回は、獅子舞と口筆の段を演じます。

<出演団体> 板山獅子保存会(半田市板山町)
<上  演> 板山八幡神社(4月第2日曜日)


おわりあさひしのぼうのて
尾張旭市の棒の手・・・昭和33.3.29 県指定無形民俗文化財

 東軍流とは、天台山にて、僧の東軍僧正より川崎鑰之助時盛が天文21年(1552年)から弘治元年(1555年)の3年間修行の上、剣法の極意を受け、全国を武者修行し、各地に東軍流の名を広めたのが始まりです。その後江戸時代に入り、寛文(1660年)頃、四代将軍家綱の時代には柳生新陰流、二天一流、小野派一刀流、林崎夢想流と共に、天下の五大流儀の一つに数えられ赤穂浪士の大石内蔵助ら浪士四名も東軍流の使い手であったと伝えられています。
 また、五代将軍綱吉の時代に印場の里で、平岩清伝と云う剣客が江戸鮫ヶ谷の句林坊の東軍流道場に通い、修行の上免許皆伝を受け、郷里の名古屋出来町西の切に道場を開きました。そこに印場村の伝昌院塚本伝寿が入門し、貞享元年(1684年)9月に免許皆伝を受け、地元に戻り近郷近在の若者に流派を伝えたのが、東軍流棒の手です。
 今回は、神祈・陰陽・矢車落とし・竹切・乱菊無双等の型を演じます。

<出演団体> 東軍流棒の手保存会(尾張旭市桜ケ丘町)
<上  演> 渋川神社(10月第2日曜日)


みかわまんざい
三河万歳・・・平成7.12.26 国指定重要無形民俗文化財

 万歳とは新春に家々を周り、門口や座敷などで唱や舞をしながら、祝福の言葉を述べる芸能です。三河万歳の起源は一説に鎌倉時代に、西尾で始まったといわれています。実相寺の2代住職応通禅師が中国から習い覚えられた万歳賦を、人々の教えたことに始まります。江戸時代を通じ、万歳を伝承する村の人々の、農閑期の生業でもあり、江戸をはじめとする都市部では正月の風物詩として歓迎されてきました。
 幸田に三河万歳が伝えられたのは、明治時代の頃、西尾の太夫の呼びかけにより、当時の幸田村の若者が才蔵役を務めたのがきかっけで、その後、幸田村岩堀から太夫が出て、万歳が定着します。昭和52年には幸田町三河万歳保存会が結成され、昭和57年に県の無形民俗文化財に指定。後出ではあるものの、文化の伝承に積極的に取り組んでいることが評価され、平成7年には同じく万歳を伝承する西尾と安城の万歳とともに国の重要無形民俗文化財に指定されました。
 男性が黒紋付き、紺股引き、白足袋の衣裳で左手にヌサ、右手に鈴を掛けたり、番傘を跳んだりするなど演技の難しい舞です。
 今回は、伝承している演舞のうち、座敷や舞台で披露されることの多い御殿万歳を行います。

<出演団体> 幸田町三河万歳保存会(額田郡幸田町大字高力)
<上  演> 幸田文化広場他(4月・11月・1月)


おおじしこじしのまい
大獅子小獅子の舞・・・昭和42.10.30 県指定無形民俗文化財

 成岩の氏神である成岩神社祭礼に奉納される神楽獅子で、「大獅子の舞」と「小獅子の舞」の2つの対照的な性格の舞で構成されており、ともに江戸時代中期には行われていた記録が残っています。「大獅子の舞」はおおらかで優雅な舞で、乱獅子、花獅子、蔦獅子、剣獅子の4曲が伝承されています。大獅子には神の使いである白鶏の冠を被った「ささらすりの童子」が寄り添っています。「小獅子の舞」は、急テンポな曲に乗り、龍が地をのたうつ姿や雲を呼んで天に昇らんとする姿を演じます。その姿が表すように、この舞には雨乞いの祈りが込められています。脇役として、おかめ・ひょっとこの「面能連中」が登場し、小獅子の舞を引き立てます。

<出演団体> 半田市成岩第四区獅子保存会(半田市有楽町)
<上  演> 成岩神社(4月第2土・日曜日)

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