親のための子育て経験談集 
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【非行事例4】 心に刺さったとげ

   私は25歳になりました。私の高校時代の体験を書くことにします。

 担任の先生は、父さんを叱った。「いつまで、そうやって彼の尻ぬぐいを続けるつもりですか!」その時、僕は、初めて事の重大さに気付き、「しまった!」と思った。
 担任の先生の声は、凛とした厳しさがあった。不思議と見捨てられたとは思わなかった。冷たい声に感じなかったのは、口にはできなかったがとても感謝していたからだ。学校近くの土手でシンナーの吸引をしているところを学校に知られ、無期停学の謹慎期間中、先生は毎日その日一日の授業のノートを持って家庭訪問を続けてくれた。以前、家出をした時も、一日も欠かさずノートを届け、夜遅くまで父と一緒に小中学校の友人宅などを捜索してくれた。
 僕と父は明け方まで、先生の言う「自分のしたことに自分で責任を取る」ことについて泣きながら話し合った。その日の内に、退学届けを出し、翌日は朝の5時に起床して、道路工事に派遣される仕事を自分で選んで働き始めた。 

 小学生の僕は、肥満児でスポーツが不得意だったが、勉強は頑張っていた。兄は、スポーツも勉強も得意で性格も明るく人気者だったから、兄が自慢で目標だった。その兄の存在が、ある日を契機に僕を苦しめるようになった。
 運動会の予行練習で、僕は、担任の先生に叱られた。去年までの兄の担任で、やたら僕と兄を比較するので、叱られないよう僕なりに努力をしていた。しかし、運動が苦手な僕は頑張っても友だちやクラスの足を引っ張ることが多かった。徒競走の時、やっとでゴールした恥ずかしさをおちゃらけてごまかしながら待機場所へ移動するのを見て先生は怒った。「ダメでも一生懸命やれ!お前の兄は、そんなふざけた態度は取らなかったぞ」とみんなの前で叱られた。顔から火が出るほど恥ずかしかった。悪いことは重なった。ムシャクシャした気分で、僕は学習塾をさぼって友だちの家で遅くまで遊んで帰宅した。家に帰ると両親に遅い帰宅を問いただされた。とっさに僕はウソをついたが、塾をさぼったことは、既に両親にはバレていた。両親の小言を聞きながら、兄を目標に頑張っていた時には全く気づかなかったある疑惑が頭に広がった。両親は僕と兄に差をつけていないか?自分は、家でも学校でも兄の「おまけ」で余計者なんじゃないか?

 父は、商売のかたわら非行少年の立ち直りを支援するボランティアをしていた。僕ら兄弟は、たびたび罪を犯した少年の話を「こうなっては駄目だ」と繰り返し聞かされた。母も、老人ホームの慰問によく出掛け、知り合ったボランティア活動に熱心な青年のことを僕らに聞かせた。兄は、時々母とボランティアに出掛けたが、僕は面倒臭くて一度も行かなかった。そのうちに、母は僕を誘わなくなった。
 その日も、父は、面倒を見てきた非行少年の話を引き合いにして長い説教を始めた。僕が、その子らと同じ道をたどり世間に後ろ指をさされる事になると心配で仕方ないのだ。僕は、肥満児でのろまなことが原因で友だちからいじめられないよう、学校では気を遣って大変なうえ、何かにつけて兄と比べる担任対策にも気を張っているのに、誰も分かってくれていないのかと思うとさびしかった。今思うと、浅はかなひがみ根性だが、食事の盛り具合などの些細なことにも兄と差があるような気がして、どんどん疎外感を深めていった。家も学校もつまらなくなった。

 それからは、両親にウソをつき、夜遅くまでゲームセンターで遊ぶことを繰り返した。父親が心配した非行少年にどんどん近づいていった。たばこも吸った。万引き、恐喝、気弱そうな奴をいじめ、無免許でバイクを乗り回し、警察の補導もたびたび受けた。その都度、父親は頭を下げて歩き、僕を祖父の家から中学に通わせるとか、小遣いを渡さないとかして僕をいさめようとしたが、非行のレベルに比例して長くなる父の説教には幾度も「兄」が登場し、鉄拳の嵐で感じる痛み以上の痛みをともなった。それはとげのように深く心に刺さって、痛みを与えた。反感は募っていった。「兄と比べるな!」心の中の叫びは、声にしなくては人には伝わらない。分かっていたが、僕は僕のことで親が苦しげな顔をしているとなぜか安心し、兄と笑っている顔を見ると怒りがわき上がり苦しかった。

  「兄」を意識しない高校に進学したが、ふつうの高校生にはなれない自分が出来上がっていた。僕以上に非行経験が豊富な同級生の中で、甘く見られないように心がけ、虚勢を張るしかなかった。本当に父が心配していたとおりに自分が「悪く」なっていくようで、正直なところ僕自身は不安だった。その不安な気持ちから逃げ出すのに、シンナーを使った。常習化する前に学校に知れ、高校を退学することになったが、僕の一生にはこれが幸いに転じた。
 両親を世間体ばかり気にする偽善者と決めつけていたが、僕のことを「日給で道路掘りの仕事に頑張っている。3日と続くまいと思ったが3年目になる。働いた金で、定時制高校に通い始めた。将来は、家を継いでもいいかと嬉しいこと言って親を泣かせる」と泣きながら、客に自慢しているのを聞いた時、僕は小学校6年生から吸い始めた煙草をやめた。禁煙ができたら、高校の担任の先生に会いに行こうと思っている。

<本体験で参考となること>
@ 思春期の精神発達の特色を、親も教師も自分自身のその頃を思い返して理解に努めること。
A 子どもは、いくつになっても何より誰より親に認められたい という強い欲求があること。
B 思春期までの子育てに自信を持ち、思春期の反抗や非行におびえず、ひるまず、じっくり子どもと向き合うこと。時の経過が子どもの精神発達に必要な時もあること。
C 学校の先生には思春期の青年の扱いに精通している人もいるので信頼し相談をすること。


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