愛知県ビデオコンテンツ 豊田喜一郎物語
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 ◆ 自動車工場の建設
    
会社の役員たち  喜一郎は多くの自動車を造るために挙母町(現豊田市)に工場を建設することにしました。しかし、喜一郎が計画した工場は日本にはこれまでにないほどの大きなものでした。その為、会社の役員たちから大反対を受けました。

 社長である利三郎(妹愛子の夫)は悩んだ末、喜一郎の熱意を信じて工場の建築を決心しました。 利三郎

中村寿一町長  挙母町の中村寿一町長も協力を惜しみませんでした。当時挙母町は、不景気のため仕事がなく困っている人が大勢いたからです。こうして、喜一郎の希望通りに挙母町での工場建設が決まったのです。

 そして、昭和12年8月にはトヨタ自動車株式会社が設立され、昭和13年11月3日、ついに挙母工場が完成しました。 挙母工場

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