陶磁器を代表する言葉として「せともの」というのが日本全国で使われています。しかし、大阪より西では「からつもの」という言葉が一般的なのです。実は「せともの」は、この「からつもの」つまり九州の焼き物を技術的に追い越すことを目標に頑張ってきました。中世の瀬戸焼は今は古瀬戸(こせと)と言われていますが、その頃にはそれなりに有名になります。しかし、朝鮮半島を経由して大陸から入ってきた窯業の技術は確かなものであり、大陸に一番近い九州の焼き物は断然優れていたわけです。それに対して瀬戸の窯業は、九州の窯業にいかにしてついていくか、やがてはそれを乗り越えていくかというのが窯業の歴史だったのではないかと考えています。
今日はその瀬戸窯業の近世的・江戸時代的なものを概観しようと思います。そして、中世・戦国時代との違い、戦国時代までの窯のあり方との違い、それから近代の制度、さまざまな竈屋(かまや)達の営業上の制度、そういったものの変化を近世からどのように関連づけていくか、そして瀬戸窯業の発展の最大の要因は何なのかを考えてみたいと思います。