日本社会史の現場からグローバルスタンダードを見る 
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はじめに


大塚先生 私、大塚英二と申します。国際文化研究科を担当しております。本来、日本史の研究者で、国際的なものというのはあまり関係がないので、この場でお伝えしていくのは、大変心苦しいのですが、グローバル化、国際化が進む中で、グローバルスタンダード、それを基準というのでしょうか、グローバルスタンダードをどのように考えたらいいかということです。日本の歴史は、国際化とはちょっと一線を画しています。そうでない人たちもいますが、私どものように、江戸時代の農村を研究しているような者にとっては、少々、勝手が違うのです。ただ、そういう中で、国際化を考える場合には、ナショナルなものといいますか、それも同時に考えないといけないのでありまして、当然、日本社会というものを視野に入れていかなければいけません。そういう観点でお話していくつもりです。
  まず、グローバル化ということですが、グローバル化が進むと、日本史なんかをやる必要がなくなり、人類史や世界史があれば、事が足りるのではないかと思わず考えてしまいますが、世界史というのは、皆さん、高校とかで世界史を勉強されたと思いますが、まともな世界史はないのです。これは、誤解がないように言いますと、世界史というのは、各国史ですね、イギリス史とか、ドイツ史とか、フランス史とか、そういうものが寄せ集められたようなものであって、私の目から見まして、世界史的記述というのはほとんどないのです。だいたい西欧中心になっていて、そこに中国やその周辺が入ってくるというのがだいたい世界史なのです。これは、仕方がないところがあるわけです。だいたい歴史の研究者というのは、それぞれ民族とか、地域とか、国家とか、そういうものを自分の枠として、一つ押さえて研究していまして、そういったことからすると、いわゆる、本当の世界史や人類史とかというところにまでたどり着けている歴史家は,少数いらっしゃるかもしれませんが、あまりいません。そういう中で、本当の世界史や人類史というのは、とても今、語られる状態ではないということなのです。ですから、グローバルに歴史を見ることは、容易ではないのです。
 グローバル化の進展に伴って、地域や民族の問題というのが非常に注目されてきています。これは、要するに、グローバル化というのが、経済的な側面が非常に強いからです。情報的な面もありますが、金融とかそういう側面が強く、それで、経済力のある国とそうでない国、金持ちの国と貧しい国という民族問題というのが出てきてしまうのです。地域紛争とか民族紛争というのは、逆に、グローバル化によって生まれてきているということがあるのだろうと思うのです。グローバル化の進展に伴って、地域とか民族とかいう研究の分野が、歴史学の研究分野でも非常に注目されることになります。歴史家というのは、そういう中で、ナショナルヒストリーの枠組み、このナショナルヒストリーという国家とか民族の枠でやっていくということに対して、限界があるということを言う人も当然いらっしゃるのですが、しかし、最低そこのラインで、我々は、今、理論・実証・叙述というのをやっているというのが本当のところだろうと思っているわけです。
 そのうえ、他の学問と比較して、歴史学というのは、現状分析に則ってお金を稼げる学問ではないのです。いわゆる、経済学とかそういったものは、まさに現状分析で、現代社会のいろんな問題とか歪みとか、そういったものを解消します。同時に、それは、稼げる学問でもあります。儲けるということを念頭においている学問でもあるのですが、そういう学問とは少々違うわけです。社会科学という学問領域と歴史学というのは、かなり接点はあるのですが、少々違うのです。現状分析がすべてという学問ではないのです。どちらかというと、歴史学は、絶対的批判精神を涵養するものであるという定義付けをしたいと思っております。これは、歴史学は、ナショナルヒストリー、国家の枠組みである程度やっていても(国益に資するものとしてやっている、そういう歴史学もあるかもしれませんが)、少なくとも多くの歴史家というのは、別に国益のためにやっているのではありません。国益のために準じてきた歴史学というのが、大変痛い目を見たというのが戦前あったわけです。ですから、歴史家の多くは、国益がすべてだというレベルでは議論しません。さらにいうと、例えナショナルヒストリーという枠組みでやっていても、企業のためとか、産業技術のためとかという(もちろん技術史という分野もあるのですが)、そういう何らかの稼げるもののためにやるという学問ではないのです。ですから、経済効率主義という、まさにそのグローバル化というものは、これを追求する流れだと思うのですが、そういうものとは随分距離があるというふうに思っています。そして、そういう中で、本来、歴史学というのは、随分疎外されている学問であるように私は思っています。
 しかし、歴史学は、ブームでもあります。歴史ブームでもあるのです。これは、大河ドラマなどをやれば、舞台となった所に多くの人が集まるとかということで、すぐそういう所が観光地化されるという話があります。別に、それはそれで結構なことなのです。全然、悪いとは言っておりませんが、学問としての歴史学というところで評価されるというよりは、別なところで評価されています。歴史というのは、三本柱ありまして、歴史の理論と歴史を実証していくもの、それから、それをわかりやすく書いていくという叙述というものの3つの柱がありまして、我々は、これを歴史学の三本柱と言っています。この中の叙述の部分ですが、わかりやすく書くというその部分が妙に肥大化しています。そこだけが、やたら商品化されてしまっています。こういう場で言うのは何なんですけれども、歴史学という学問自体が、大学という場では細くなっているのです。儲からないからということで、どんどん先細りになっています。しかし、その一方で、ブームが起こっているという相反した現象があるという状況です。
 ただ、ここで重要なのは、グローバルスタンダードとかけ離れているとされる日本社会の体質解明ということを、きちんと考えてみる必要があるということです。というのは、だいたい日本社会というのは、妙に、グローバルスタンダードから遠いところにあるとされているからです。これは、談合体質だとか、群れているとか、顔がはっきり見えないとか、世界的にいうと、きちんとものを言わない社会だとか、いろんな見方があります。こういったことは、村社会というのを根源にもっていて、どうもそこから来ているもので、それは、グローバル化にとって最大の問題であるという言い方をされていると思います。実は、日本歴史の分野は、少々そういったところに対して解明する力をもっているのではないかと思っています。
  ここから、話の「はじめに」の本当の中身に入りますが、悪名高い村社会の実態はどうだったのかというテーマで、今日はお話しするつもりです。要するに、今、巷でグローバルスタンダードといわれているものを、私なりに相対化したいのです。絶対化ではなくて、相対化したいのです。これは、日本社会というものがどうだったのか、特に村というものがどうだったのか検討したいのです。日本社会は、やっぱり、村からは本来離れられないのです。日本社会の悪いところは、全部村に押し付けていたというのがこれまでの考え方だったのですが、本当にそれでいいのかということをちょっと考えてみて、そして、そのグローバルスタンダードといわれるものを、もうちょっと別の側面から捉え直してみようという考えなのです。


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