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鈴木正三物語
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重成の死、その後
重成は、島原の乱の原因ともなった重い年貢を半減してもらうよう、幕府に何度も要請したが聞き入れてもらえませんでした。
ついに重成は、自分の命をもって幕府に訴えようと切腹します。年貢半減の願いは重成の養子、重辰(正三の実子)に引き継がれ、重成の死後6年目にようやく実現しました。
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