家庭教育啓発資料「父と子」 
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大切な子の中の一人

 息子の修司は、小さいころはとても元気で、よく気のつく子でした。他のきょうだいよりも行動も機敏で、正直言って、家族の中には大きく期待するような気持ちがありました。
 ところが、小学校に入りいろいろな問題が起きてきました。少しのことでかっとして友だちをなぐる、授業中に席についていられず他の子の迷惑になるなど、担任の先生からいろいろな連格が入るようになりました。初めは信じられないような気持ちでしたが、家の中でも妹をいじめたり、同じような行動をしたりしてきました。ただ私や父の前では、怖いためか、そのような様子を見せることはありませんでした。そのため、父母は妻に対して、「修司がこんなふうなのは、しつけが甘いからだ」と愚痴をこぼすようになりました。家族の中に、何か重苦しいものが流れるようになりました。「少しは修司の面倒をみてくださいよ」と哀願する妻の姿に、自分のことしか頭になかった私は責任を感じました。
 私はそのころ、クラブチームに入り、仕事の合間をみて学生のころからやっているサッカーを続けていました。それをやめ、地域の少年サッカーチームの指導に加わることにしました。何度か地域の人からの依頼もあり、そこへ修司も連れて行って思いっ切りスポーツをさせたら、修司のストレスも解消できるのではないかと思ったからです。
 しかし、友だちと一緒になって練習する我が子の姿を見て、私は初めて修司がおかしいと気づきました。ランニングをしていても長続きがしません。ボールを蹴っていてもすぐに飽きてしまい、友だちとけんかをする。これらは、修司の意思を越えたもののように感じました。担任の先生からの苦情や妻の言うことも納得できるような気がしたのです。
 病院へ行き、修司は病気であることが分かりました。早く気づいてやればと、本当に申し訳ない気持ちでした。医者からは、薬を服用するのと同時に、無理のない程度に友だちづくりをさせていくことが大切だと言われました。
 その後も、私は地域の少年サッカーの指導を続けています。修司も中学生になるまでは、ずっと連れていきました。他の子どもさんのようにはいきませんが、彼なりにがんばりました。練習をしている子どもたちは、本当にのびのびとしています。一人一人に個性があり、みんな可愛く大切な子です。そして、自分の子もその中の一人としてとらえることができるようになりました。
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