
その2つは、福祉という観点からいうと、両極端なのです。そういう両極端のものをなぜ提供するかというと、日本の福祉が遅れているとよく言われたりしますけれども、一方で、絶対的貧困というのがあって、食べることができるかできないかという問題があるのです。そして、食べられないということは、大脳の発達が阻害されます。すると、考えるということができなくなる。それは、議論に入る以前の問題ですよね。ある意味で、議論ができて初めて対等という面があると思うのですけれども、それさえも条件が与えられない。そういう世界の中における、スウェーデンの福祉、あるいは日本の福祉というものをもう一度考えてみたいということなのです。