都市に棲む人々ー「ホームレス問題」とソーシャルワークー 
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あるホームレスの女性の話


須藤先生  いろんな社会福祉の政策や制度を駆使しても、ホームレスになる人々は生まれてくるという、その限界を感じた事例を一つ話してみたいと思います。その女性は私が会ったとき75歳くらいだったと思うのですけれど、28から74歳まで、売春で働いてきましたという女の人でした。本当にかわいいおばあちゃんなんですけれど、本当に潔く、そうおっしゃったんです。この方は東京、横浜、大阪にも行ったことがあるとおっしゃっていましたけど、よく動いている方で、たいへんいろんな経験を持った方でした。この方は、関東大震災のときに横浜で生まれて、瓦礫の中で泣いていて引っ張り出されたという時代を生きているんですね。それから子守りをしたり、飴屋で働いたり、本当にその人のライフ・ヒストリーを聞いていきますと、その震災の後に、どのように社会が混乱していったのかがよくわかる。そういう時代を生きた人なんです。そして、彼女はいろんな話をしてくれたのですけれども、子供が6人いて、そのうちの半分くらいが乳児脚気で死んだと言っていました。夫はどこで働いていたかというと、今横浜には、「みなとみらい地区」という素晴らしい地域がありますけど、あそこは三菱造船だったんですね。そこの造船所の職工だったんです。その夫が、自分たちを置いて失踪してしまったんです。それで、新橋と横浜を行ったり来たりして、まさにホームレスをして、その後母子寮に入れてもらったそうです。するとあるとき、夫が連絡を取ってきて、子供を連れてもう一回その三菱造船の寮に入った。しかしその3ヵ月後くらいに夫は青酸カリを飲んで自殺したんだそうです。それがものすごく悔しかったといいました。自分が死ぬために私たちを呼び寄せたんだと思ったそうです。彼女はそのときに、子供を全部手放して、一番下の娘だけを連れて、私はパンパンになってやったんだと言ったんです。彼女の、すごく意気のよいところに私はいつも魅せられていたんですけど。そして74まで生きてきたんだよ、と彼女は言っておりました。
 でも彼女は、私と出会ったときにはすでに75ですから、私は売春して食べていきなさいなんて、もちろん言う気はまったくありませんし、ドヤの一室を提供して、生活保護を受けて、そこで定着してほしいと心底思いましたね。そういう形でつきあっていったんですけれど、彼女の中には一つ非常に強い妄想があったんですね。これは若いときからあるものなのか、近年出てきたものなのかわからないんですけれど、自分は売春防止法で刑事に追われていて、捕まるんだというようなことです。
 また、ドヤの中というのは非常に男性と女性の比が違いますから、私がその人のためにドヤの部屋を探すときも、あるドヤで、「74のおばあちゃんが来てるんだけど、お部屋空いてる?」と言うと、「だめだめ女はだめ。一人でも入ると男たちが騒ぐんだ」と言われました。「でも74歳よ」と言うと、「いや、70でも80でも同じなんだ」と。こういう世界だったので、生活保護は出す、そして私も全面的に支援するといっても、彼女の生活がそこで成立しないという現実がありました。
 目黒の福祉事務所、渋谷、新宿あちこちからよく電話がかかってきました。というのは、私は彼女がよくいなくなるということがわかったので、そのときにいつも、私の名前を書いた「中福祉事務所」と印刷されている封筒を「持ってなさい」と渡しておいたのです。なぜなら、彼女は時々、私のところに来て、すごく死にたいと言っていたからです。死にたいけど死ねない、そんな話がいつも出ていたので、私は「あなたの死にたいっていう気持ちはよくわかったけど、この封筒をポケットに入れておいてちょうだい」と話しました。よく東京に行きますと、山手線、中央線は、人身事故でしょっちゅう止まるんですよ。そのときにふっと、ああ、彼女かもしれないと思うことがありました。でも半月くらいすると戻ってくるんですね。「この間東京行ったとき、山手線が止まったから、あなたかと思った」と言ったら、冗談じゃなく彼女が私の顔を見て、「本当に須藤さん、私死にたいと思った。でも死ねないもんだねえ」と言ってました。
 そういう話をしたりして、一時定着して、やっぱりいなくなるんですね。それは追われているという不安があるからです。「どこに行ってたの?」と言うと、今度は「横浜そごうデパートの下にタクシーがぐるぐる回るところがあって、排気ガスがたまって非常に環境は悪いんですけど、そこにいると安心だ」って言うんです。「部屋にいるとすごく怖い。あそこにいれば、タクシーが24時間回っているし、いろんな人が見ているから安心していられる」って言ったりしました。
 この時点において、私は保護は打ち切らない。彼女のお金も預かっているので、何かあったら私のところに連絡くださいというやり方で、彼女をサポートしてきたんです。でも、その一人ひとりの動き方っていうのは、個人の中にある内的な世界も含めて、すごく個別なんですね。普通だったら、15万毎月お金が出る。決して綺麗じゃないけど、落ち着いた部屋を提供してもらえる。そこで暮らしたらいいじゃないかと思うかもしれませんけれど、彼女の中には解決しがたい妄想がありました。その生き方を認めて、そして、生きていく。「それでもいいんだよ」というように、「それでやっていこうよ」というようにつきあっていくというのがソーシャルワークですね。私は今、そう思っているんです。
 どうもご静聴ありがとうございました。

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