
でも彼女は、私と出会ったときにはすでに75ですから、私は売春して食べていきなさいなんて、もちろん言う気はまったくありませんし、ドヤの一室を提供して、生活保護を受けて、そこで定着してほしいと心底思いましたね。そういう形でつきあっていったんですけれど、彼女の中には一つ非常に強い妄想があったんですね。これは若いときからあるものなのか、近年出てきたものなのかわからないんですけれど、自分は売春防止法で刑事に追われていて、捕まるんだというようなことです。
また、ドヤの中というのは非常に男性と女性の比が違いますから、私がその人のためにドヤの部屋を探すときも、あるドヤで、「74のおばあちゃんが来てるんだけど、お部屋空いてる?」と言うと、「だめだめ女はだめ。一人でも入ると男たちが騒ぐんだ」と言われました。「でも74歳よ」と言うと、「いや、70でも80でも同じなんだ」と。こういう世界だったので、生活保護は出す、そして私も全面的に支援するといっても、彼女の生活がそこで成立しないという現実がありました。
目黒の福祉事務所、渋谷、新宿あちこちからよく電話がかかってきました。というのは、私は彼女がよくいなくなるということがわかったので、そのときにいつも、私の名前を書いた「中福祉事務所」と印刷されている封筒を「持ってなさい」と渡しておいたのです。なぜなら、彼女は時々、私のところに来て、すごく死にたいと言っていたからです。死にたいけど死ねない、そんな話がいつも出ていたので、私は「あなたの死にたいっていう気持ちはよくわかったけど、この封筒をポケットに入れておいてちょうだい」と話しました。よく東京に行きますと、山手線、中央線は、人身事故でしょっちゅう止まるんですよ。そのときにふっと、ああ、彼女かもしれないと思うことがありました。でも半月くらいすると戻ってくるんですね。「この間東京行ったとき、山手線が止まったから、あなたかと思った」と言ったら、冗談じゃなく彼女が私の顔を見て、「本当に須藤さん、私死にたいと思った。でも死ねないもんだねえ」と言ってました。
そういう話をしたりして、一時定着して、やっぱりいなくなるんですね。それは追われているという不安があるからです。「どこに行ってたの?」と言うと、今度は「横浜そごうデパートの下にタクシーがぐるぐる回るところがあって、排気ガスがたまって非常に環境は悪いんですけど、そこにいると安心だ」って言うんです。「部屋にいるとすごく怖い。あそこにいれば、タクシーが24時間回っているし、いろんな人が見ているから安心していられる」って言ったりしました。
この時点において、私は保護は打ち切らない。彼女のお金も預かっているので、何かあったら私のところに連絡くださいというやり方で、彼女をサポートしてきたんです。でも、その一人ひとりの動き方っていうのは、個人の中にある内的な世界も含めて、すごく個別なんですね。普通だったら、15万毎月お金が出る。決して綺麗じゃないけど、落ち着いた部屋を提供してもらえる。そこで暮らしたらいいじゃないかと思うかもしれませんけれど、彼女の中には解決しがたい妄想がありました。その生き方を認めて、そして、生きていく。「それでもいいんだよ」というように、「それでやっていこうよ」というようにつきあっていくというのがソーシャルワークですね。私は今、そう思っているんです。
どうもご静聴ありがとうございました。