“精神病者”の権利はなかったのか?―ヨーロッパ精神医療史の落穂拾い― 
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【精神病者の贖罪の儀式「ノベナ」】

 こうして聖ディンプナが精神病の守護聖人となりますと、各地から精神病者が殺到してきます。最初は聖ディンプナを祭ったただの小さな礼拝堂だったものが、次第に立派な教会になり、巡礼者を受け入れる体制も整えられていきます。巡礼に来ただけでなくて、そこでは、一般に「ノベナ」と呼ばれる、9日間教会にこもって行う儀式があったんです。ゲールでは、精神病の原因が、「罪」であるという考え方から、ノベナとは、贖罪の儀式というふうに捉えられていました。
ノベナ
それは7つのカテゴリーに分類されるものです。
  1. 告白と聖体拝領。
  2. 一日3回、患者は教会の中、あるいは外に沿って歩き、素足で聖遺物の下を這う。(→右図)
  3. 病人部屋にこの期間の間こもり続けなければならない。
  4. ミサとまじない。
  5. 服を着替えない。
  6. 患者の体重を量って、体重分の穀物を奉納する。
  7. その穀物は、物乞いをして集める。
 以上7つです。
 15世紀になると、このノベナを行うため、ゲールに滞在する患者のために病人部屋というのが、教会に作られます。
病人部屋
最初の病人部屋のことはわかりませんが、現在残されているのは1687年に建てられたといわれる新しい病人部屋です。病人部屋は第二次世界大戦で破壊されたんですけど、この写真はその後復元されたものです。内部がどうなっているかずっと気になっていたんですが、何度目かにゲールを訪問した際に、中に入ることができました。この病人部屋の1階には大部屋2つと小部屋が3つありました。一つの大部屋には、格子で守られたロフトがあって、そこに教会が雇う介護人が寝泊りしていました。2階にはさらに小部屋が2つあったとされていますが、病人部屋全体の収容人数はせいぜい十数人程度と思われます。この新しい病人部屋ができた1687年から、フランス革命の余波で1797年に病人部屋がいったん閉鎖されるまで、“Liber Innocentium I”という名簿に病人部屋利用者の名前が記載されています。
Liber Innocentium I
この表は、その名簿からグラフ化したものですけれども、これによると18世紀における年間の利用者数は20人から50人で推移していることがわかります。1年間の利用者が20人から50人という数字は、ひと月になおせば数人で、病人部屋の滞在は原則9日間であることを考えると、病人部屋の収容人数から考えて、とても殺到したとは言えないかもしれません。しかし、精神病者の巡礼というのは、だいたい聖ディンプナの祝祭日のある5月から、気候のよい夏場に集中したと言われていますので、さほど広くない病人部屋が満室になるということもよくあったと思われます。
 病人部屋の収容能力には限りがありましたので、やがて、ノベナを実施するまで待つ、あるいはノベナを終えてもゲールに滞在し続けるという患者のために、聖ディンプナ教会の周辺の民家が精神病者に宿を提供するようになりました。こうして精神病者を家庭で看護するというシステムが自然発生的にできてきました。民家での家庭看護、すなわち精神病者の長期滞在のためのインフラ整備が行われていくという、他の巡礼地にはない特徴が、その後のゲールの発展に大きく寄与することになります。

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