“精神病者”の権利はなかったのか?―ヨーロッパ精神医療史の落穂拾い― 
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はじめに〜人権について〜


橋本先生  今回の公開講座の共通テーマとして、人権や権利という概念が取り上げられています。まことに結構なことなんですが、ただ、結構であると同時に、人権と言われれば、何の反論の余地も与えられないかのような、昨今の閉塞状況に苛立ちを感じています。
 そこで本題に入る前に、この人権という概念に対するいくつかの確認作業だけはしておきたいと思います。
 中世ヨーロッパでは、「法」というものが絶対的な存在でした。「法」とは、「歴史的な試練を経て生成された正義感覚」で、君主でさえも従わなければならないものでした。人権概念の起源と目されるイギリスのマグナカルタ(1215年)は、「法」を国王に守らせるために、封建貴族と国王との間にかわされた契約文書でした。しかし今日の人権概念に重大な影響を及ぼしている、アメリカの独立宣言(1776年)では、従来の「法」が、神によって付与された天賦の権利へと置き換わっています。つまり、権利というものの根拠が神となったのです。一方、フランス革命のときの人権宣言(1789年)では、アメリカの独立宣言と違って、宗教性が徹底的に排除され、人民は封建身分社会から解放されたと同時に、いかなる共同体にも属さず、宗教も持たず、歴史伝統をもたない、無機質で抽象的な人間像というものを生み出すことになりました。その後20世紀になって登場した世界人権宣言(1948年)ですが、そこでは、「すべての人民と、すべての国とが達成すべき共通の基準」として公布されたもので、人権が人類に普遍のものであるということを表明しています。けれども、「法」も神も捨て、伝統や歴史のしがらみから自由になった個人を前提とする今日の人権というものの絶対性を誰が論証できるのか、むき出しの個人を礼賛することは行き着くところ「あくなき利己心」の追求ではないのか、といった疑問も唱えられています。
 要するに最初に理解しておかなければならないのは、人権概念というもののイデオロギー性の強さです。言い換えると、人権というものはきわめて「歴史的社会的に制約された考え方」ととらえる必要があります。

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