文学と映画の対話 ―フランス・イタリアの作家作品を中心に 
もどる  目次へ  すすむ  
「前衛」とヌーヴェル・ヴァーグ――「文学」の呪縛からの解放――

 19世紀の末から20世紀の初めにかけて、アヴァン=ギャルドというものが起こってきます。アヴァン=ギャルドとはフランス語でまさに前衛という意味で、文学にしろ絵画にしろ音楽にしろ生まれてきますが、それまで当然と思われていたことに対して異議を申し立てることです。小説なら小説たらしめていたものに、音楽なら音楽たらしめていたものに、それが果たして正しいのかどうかと異議を唱え、一たん全否定して、そこから新しいものを作り出していくという動きがアヴァン=ギャルドの精神です。それが19世紀末から20世紀初めにかけて起こり、いわば20世紀芸術の1つの主な流れとなっていくのです。
 文学では、1950年代の終わりからフランスではヌーヴォー・ロマン(新しい小説)と言われる、20世紀的なアヴァン=ギャルド運動の頂点と言えるような文学運動が起こります。19世紀のバルザックやフローベールのような小説とは全然違うものを作らなければいけないと、19世紀には当然と思われていたことをすべて疑問視して、そこから新しいものを作っていこうという動きです。それと平行するように映画の世界で出てきたものがヌーヴェル・ヴァーグです。ヌーヴェルとは英語のニューにあたる形容詞、新しいという意味なので、ヌーヴェル・ヴァーグとは新しい波です。つまり、ヌーヴォー・ロマンが出てきた1950年代の終わり、ほぼ同時期に映画の中でもこういったことがあらわれてくるのです。
 それは、『カイエ・ド・シネマ』という映画雑誌で活動していたグループ、ゴダールやトリュフォーが中心となり、彼らが旗手となって始めていきます。それまでのフランス映画が持っていた芸術性、文学性に異議を投げかけていくのです。つまり、『シラノ・ド・ベルジュラック』のような映画はフランス映画の伝統にある、フランス語ではシネマ・ダールと言われる芸術映画ですが、いわゆる高尚な文学的映画で果たしていいのか、あれが果たして映画的な映画なのかと、ヌーヴェル・ヴァーグは疑問を突きつけるのです。
 そして、*括弧付き*の文学的な映画から離れた彼らが規範としたのは、それまでのシネマ・ダールが軽べつしていたようなハリウッド映画でした。ジョン・フォードなど映画の職人たちの中にこそ、まさに映画的な技術を、映画だけが作り出せる芸術を求めていく流れが出てくることになるのです。

もどる  目次へ  すすむ