
もう1つは産業革命です。産業革命は18世紀にイギリスで始まりますが、ヨーロッパ大陸では1930年ぐらいには完了することになります。産業革命が文化とどのようにかかわるのでしょうか。要するに、産業革命が起こることによって農民以外の労働者が出てくるということです。ヨーロッパの国々では産業としては完全に農業が中心なので、農業を支えて代々継いでいく、土地に縛りつけられた農民層は文字などを読めなくてもよかったのです。ところが、産業革命が起こることによって近代的な意味での都市が生まれ、工場とか中小の商業などに労働力が必要になってくると、教育の必要性が生まれます。それはもちろんいい意味でもありますが、悪く言えば、資本主義的な支配が進むことによって、資本主義にとって必要な労働者を生み出すために教育が生まれてくるということです。つまり、そのような層が生まれてくるのは、最低限の読み書きができなければ工場労働者にはなれないからです。
それが、現代まで続く「大衆」の誕生と言ってもいいのです。産業革命以前の世界においては、文化はごく一握りの人に独占されていました。教会があり、王侯貴族があり、極めて少数ですが大ブルジョワジーがいました。それに対して、産業革命を経ることによって、莫大なお金ではないにしてもある程度の富を持ち、ある程度の教育を持ち、それなりに文化的なものを享受し得る層が生まれ、19世紀を通して爆発的に増えていきます。そこに生まれた中産階級というものが今日の我々が考える大衆であり、映画を見る人たち、小説を読む人たちが生まれてきます。それが19世紀半ばの産業革命に端を発しているのです。
爆発的に増えた層がいわゆる大衆、マスになりますが、やがて彼らが芸術の担い手になっていきます。印刷術の進歩もあり、19世紀の半ばには新聞や雑誌がたくさん出版されるようになり、新聞・雑誌を読む層が増えてきます。19世紀半ばにはバルザックとかフローベール、ジョルジュ・サンドなど、フランスを代表する小説家たちが出てきますが、彼らの作品は主に雑誌とか新聞に連載されていました。そういったことには、19世紀に文化を享受する層が誕生したということと、それを育てていくということの2面があったのです。読み書きのできる層が増えていき、それに呼応するようにして新聞・雑誌の出版部数が増えていき、それによって19世紀の小説の発展が生まれたと。今読まれている現代の作家たちの小説という形態が定着したのはその時代、19世紀であると言えるのです。
19世紀半ばに大衆が生まれ、芸術の受け手に変化があらわれます。貴族とか大金持ちのブルジョワなど一部の特権階級に比べて、圧倒的に数の多い中産階級が芸術の受け手として登場してきますが、例えばどういう面であらわれてくるのでしょうか。フランスでは1860年代に、一般の人に向けて安い切符を売って、広い会場で多くの聴衆に音楽を聞かせる、いわゆるコンサートが組織的に行われるようになっていきます。この時代にはそういうものを聞く層が生まれてきたのですが、その一般大衆が生まれてある程度育ってきたときに映画が誕生したと言えます。もともとの成り立ちから、文学と映画には大きな背景の違いがあるのです。
映画の誕生のころにはどんなことが起こっていたのでしょうか。リュミエールが最初に上映した1895年には、レントゲンという医者がいわゆるエックス線の発見をしています。また、同じ年にサミュエル・ビングというオーストリア人がパリで美術品の店を開いていますが、その店の名前がアール・ヌーヴォーです。ガレなどで有名ですが、植物や動物などの曲線をモチーフにした、この時代を代表する優雅な装飾美術の形式です。この時代はフランス語でベル・エポック(美しい時代)と言われますが、19世紀最後の年である1900年を前後とする、要するに19世紀のヨーロッパ文化が最も発展し、成熟し、いわば腐り始めてきているような時代のことです。この時代にアール・ヌーヴォーが生まれ、リュミエールによって映画が生まれたのです。
ベル・エポックは非常に優雅なヨーロッパの退廃の時代でもあったのですが、背後では強い政治的な流れ、ナショナリズムが高まっていった時代でした。つまり、ヨーロッパの各国が世界中に進出して、植民地を作っていった時代だったのです。ナショナリズムの高まりのあらわれとして、1896年にある出来事が起こりました。これがいわゆるオリンピックです。クーベルタンというフランス人が始めたのですが、今に続く近代オリンピックの第1回が開催されたのが映画の発明の翌年でした。そういった意味で映画とは、19世紀が終わって20世紀が始まろうとする複雑な時代に生を受けた芸術だと言えます。
要するに、マスメディアのマス、大衆の誕生以前に非常に長い歴史を持っていた文学が、洗練に洗練を経た後でこの受け手と出会ったのに対して、映画とは大衆という受け手が生まれたときに、そしてそれが確立したときに生まれた芸術であるということです。映画とは、運命的に大衆と結びついて生まれてきたと言えるのです。