今度は、連続写真を機械仕掛けでいかに連続して見られるようにするかという仕組みについて、お話ししたいと思います。
![]() キネトスコープ |
エジソンのフィルムには穴が開いているのですが、では彼はそれをどうやって送り出すようにしたのか、動くようにしたのかといいますと、フィルムを非常に長い帯にして、それを上で見られるようにしたのです。そのような仕組みの装置があり、原理としては指でパラパラしたことと同じですが、それをループ状にして機械にかけ、機械的に送られるようにしました。その機械の写真では随分長そうなフィルムに見えますが、それでもたった15秒でした。これは5セントを入れるとガチャンと始まるものであり、当時は5セントをニッケル硬貨といいましたので、ニッケルオデオンと呼ばれています。こういったものが目抜き通りに置かれて、みんなが楽しんだということです。でも、これは残念ながらのぞき穴から見るもので、つまり一人しか見られない装置だったのです。
どういうときにこういった装置が役に立つのでしょうか。例えばこれは万国博覧会などに出品されて、大好評を得ています。また、みんなが気晴らしにこういうものを見に来ました。が、エジソン自身はもっと実用的に、記録装置として考えていたようです。エジソンは、フォノグラム(蓄音機)を発明したときもそうだったのですが、それが娯楽機械になるとは思っていなかったのです。蓄音機も事務上の記録装置として考えていたようです。このキネトスコープもまたニュースか何かをおさめておくとか、重要な場面を記録しておくとか、そのような事務的なものになるのではないかと彼自身は考えていたようです。
さて、あくまでも玩具か、または実用のものかということから一歩出たのが次です。つまり一人だけしか見られないような装置から、マスメディアへの一歩が始まるのです。それは、投影する技術が開発されるということです。本格的な映画の誕生なのですが、映画の誕生の日は1895年ということに、それも12月28日にフランスにてということになっています。でも、世界中の人がいろいろなことを考えていたのです。
その中でも特に、フランス人であるリュミエール兄弟よりも2カ月ぐらい早い、ドイツ人兄弟による発明をご紹介したいと思います。それは、スクラダノフスキー兄弟のビオスコープというものです。彼らの映画はどんなものだったのでしょうか。スクラダノフスキーが自分の考案した映写機の横に立っている写真がありますが、有名なリュミエール兄弟の映画の始まりよりもほぼ2カ月前に、この兄弟がベルリンのヴィンターガルテンでこれを発表しています。
では、このドイツ人兄弟にどうして映画の誕生という名誉を与えないのかといいますと、この装置には限界があったからです。彼らが映写することのできた仕組みとは、レンズを2本用意して、同じ2本のフィルムを同時に回すというものでした。そもそも映像というものは、遮られなくてずーっと通すだけでは動くものとして何も目に残らないのです。ストロボ効果をどうやって上げるかがポイントなのですが、この人たちの場合は、半円形のシャッターみたいなものがぐるぐる回るようになっており、一方の映像が映っている間は2本目のレンズの前はふさがり、そちらの方を暗くしているので、スクリーン上にはパッパッと間欠的に映像が映るという仕組みなのです。でも、2本も同時に映さなくてはいけないなどという機械はちょっと面倒だというわけで、せっかくの考案で、スクリーン上ではなかなかよかったのですが、これは実用化されませんでした。映画というものの画期的な発明は、結局リュミエール兄弟に栄誉が行ってしまうことになります。
リュミエール兄弟の発明では、いったいどういうところがいいのでしょうか。リュミエール兄弟そのものの機械ではなく、もう少し下った時代の写真がここにあるのですが、原理は大体似かよっています。レンズがあり、フィルムを渡し、光が通って、スクリーン上に映し出すということになりますが、このプロペラ状のものがぐるぐる動くことによって映像が隠れたり、また光が通ったりすることになるわけです。それによってストロボ効果を出しているという機械なのです。
リュミエール兄弟は、1895年12月28日にグランカフェというところでいくつかの作品を発表したわけですが、このとき特殊な爪で1秒間に16コマ送る装置を開発したのです。特殊な爪とは何か。エジソンの場合は送り穴を付けたことによってフィルムがどんどん動いていくわけですが、同じ速度で動いていくのでは困るのです。光が当たったときにはちょっと止まって、すぐ次のコマへパッと退いてほしいわけで、等速度ではなく、光が当たったときだけパッと退くというものを彼らは工夫し、特殊な爪で可能にしたのです。そのちょっと止まるという部分を、リュミエール兄弟はどうやらミシンの構造から思いついたようです。ミシンも、針が差してまた布を送るという装置ですね。ということで、映画の原理ができ上がりました。
では、リュミエール兄弟はどんな映像を見せてくれたのでしょうか。1920年代の映像ですが、彼らは工場を持っており、最初は工場から出てくる人の映像になっています。それが世界で初めての映像ですが、食事や水まきの風景もあり、最初の映画の演出と言われています。また、有名な映像になっている汽車の到着では、前列に座っていた人が「おーい、汽車が来るぞ」と言って飛びのいてしまったほど、衝撃を与えているのです。(これらは日本語版がDVDで出ています)
リュミエールの映画は、据えてあるカメラの前で起こる様子をそのまま映すもので、ドキュメンタリー映画の始祖と言われています。一方、フィルムを切ったり張ったりして編集することによって、フィクションを表現するという始祖はメリエスだと言われています。一般的にはリュミエール対メリエスということになるわけです。