
一方、イギリスにおける「児童虐待防止協会」が設立されたのは、1884年でその活動は今日まで続いている。1945年に里親委託された児童が里親によって虐待死させられたデニス・オニール事件が景気となり、児童法が成立している。その後、1973年に母親の再婚相手(継父)によって殺されたマリア・コウェル事件が引きがねとなり、エリア・リヴュー委員会(政策決定とその実施状況を監視する)と事例会議(個別ケースについての査定と意思決定を行う)と児童虐待登録制度(虐待の危険のある児童の名前を登録して予防を図る)などの法制度が整備される。そして、1989年に新しい児童法が成立され、児童の養育に関して第一次的責任を負う家庭と、これを支援する国および地方自治体の責任との調整が図られている。
これらアメリカ・イギリスの児童虐待の歴史を見ても分るように、児童虐待への本格的な取り組みは比較的最近の問題と言える。
日本では、昭和に入り経済不況を背景に親子心中や凶作・飢餓による子どもへの遺棄・子殺し等が1933年に制定された。しかし、実際には虐待をおこなっている保護者の処分に重点がおかれ、親がいない浮浪児は対象とされなかった。日本における児童虐待と人権問題の取り組みとしては、何らかの理由により児童福祉施設に入所しなくてはならなかった児童たちの問題に、日夜取り組んでいる施設関係者からの取り組みが大きなウエートを占めている。その代表的な取り組みを紹介する。
まず、最初に組織的に人権問題として取り組んだのが全国養護施設協議会である。1968年(昭和43年)の国際人権年の年に、NHK厚生文化事業団、朝日新聞厚生文化事業団との共催で「子どもの人権を守るために」公開討論会(人権集会)を開催し、養護施設入所児童の背景にある家庭問題は、日本の家族の問題を凝縮してあること、その中で最も弱い子どもは放任、虐待、一家心中で生命すら脅かされ、人権侵害されている実態を明らかにした。
1979年(昭和54年)の国際児童年の記念事業の一つとして「親権と子ども人権」のシンポジウムが開催された。
このシンポジウムが開催を契機として「親権制度改善のための民法および児童福祉法の改正」の要望書が提出された。これに応える形で日本弁護士連合会から「養護施設をめぐる法的諸問題と提言−親による子どもの人権侵害防止のために−」が出され、施設関係者に民法および児童福祉法に関する法的問題への積極的な取り組みの必要性を示してくれた。
最近では、日本の全ての子どもを対象とした民間団体が中心となり組織する虐待防止協会の設立やそこでの具体的な取り組みが紹介されるようになってきました。