三河万歳の起源には様々な説がありますが、室町時代には畿内の万歳が現在の安城・西尾両市に伝わっていました。江戸時代になると、土御門家の支配を受け、関東一円を巡業していました。明治維新後は苦難の時代を迎えますが、明治19年(1886)に万歳協会を結成し、神道教導職として万歳を続け、明治時代末期から大正時代にかけて盛んになりました。
安城では東別所・西別所が万歳を伝える村でした。一時衰退しましたが、昭和47年(1972年)市内に三河万歳保存会が結成され現在もその伝統を継承しています。
伝承演目には、三羽鶴の舞、七草の舞、天の岩戸開きの舞、御殿万歳(七福神の舞)、三曲万歳があり、その中には滑稽な要素も含まれますが、総じてゆったりとした祝言の色彩の強い内容で、祝福芸としての万歳の古い形式をよく伝えています。
【出演団体】 安城の三河万歳保存会・安城市立丈山小学校