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細井平洲学者として生きる〜江戸・嚶鳴館時代〜
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上杉鷹山との出会い
そんな中、平洲にとって運命的な出会いが訪れます。米沢藩の医者である藁科松伯が両国橋での辻講釈を聞いて心を動かされ、次の殿様である若君の先生になって欲しいと申し出ました。この若君こそ、後に経済的に困窮していた米沢藩を一代で立て直し、名君と誉れ高い上杉鷹山でした。
平洲37歳、鷹山14歳のことでした。
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