“精神病者”の権利はなかったのか?―ヨーロッパ精神医療史の落穂拾い― 
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日本の「ゲール」〜岩倉での精神医療〜


橋本先生  実はゲールへの関心は、日本国内で意外な展開をすることになります。それは、京都の岩倉でも、ゲールと同じようなことをやっていたではないか、という認識へと発展していくのです。平安時代、後三条天皇の娘が精神病を患って、京都岩倉の大雲寺にある泉の水を飲んだところ回復したという伝説があるんですが、これに基づいて、日本各地から精神病者がこの京都の大雲寺にお参りにきました。やがて精神病者を宿泊させる宿が、大雲寺の周辺に発達したというのが岩倉の起源とされています。確かにゲールとよく似ています。ただし、呉秀三が、ゲールと岩倉を意識的に関連付ける前は、岩倉は当時の日本各地に存在した伝統的な治療施設のひとつに過ぎなかったわけです。岩倉での治療は、さきほど述べた、大雲寺の境内にある泉の水を飲むといった非常に伝統的な治療が中心でした。
 しかし、大雲寺周辺にあった精神病者のための宿屋が、ゲールの家庭看護と同様のものと捉えられ始めるようになってから、岩倉が単なる伝統的な治療の場ではなくなってきました。この認識の転換は岩倉にとって、非常に決定的で重大なことでした。岩倉の宿屋は、江戸時代から明治期の比較的初期に起源をもつ ものが4軒ありました。それはずっと茶屋とか、宿屋と呼ばれてきたんですけど、いつの頃からか「保養所」と名前が変わります。これ自体非常に意味があると思うんですけども、旧来の4軒の保養所に加えて、大正時代の終わりごろから、精神病者の保養所の設立ブームが起こります。そして昭和の初期には、岩倉の10軒ほどの保養所に300人くらいの精神病者が滞在して、比較的自由に暮らしていたといわれています。ところが、この保養所がどうなったかといえば、第二次世界大戦のときに、食糧難となりまして、次々に閉鎖されて、すべてなくなってしまいました。今は残っていません。というわけで、いずれにしても、ベルギーのゲールの影響が、こうしていろいろな解釈を経て、遠く日本の精神医療にも非常に影響を与えています。
 とても今日のお話では語り尽くせないものもあるんですが、ここまでにしておきたいと思います。どうもありがとうございました。

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