親のための子育て経験談集 
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【不登校事例4】 高校入学後、すぐに不登校になった息子−成長を見守ることにした私−

   息子は、第一志望の高校に合格した。入学することになった高校は、息子の父も祖父も通った伝統校で、進学名門校として名の知られた学校だった。合格した時は、親はもちろん、親戚の人たちも、たいへん喜んでくれた。今になって思い返すと、息子の表情には浮かぬところがあったように思うけれど、その段階では、そのうち生き生きとした高校生活を送るものと期待していた。

 異変が起きたのは、ゴールデンウィークを過ぎた頃だった。ゴールデンウィーク中の課題を全てはこなすことができなかった息子が、それを理由に「学校に行きたくない」と言い出したときは、本当に驚いた。「やってなくても、いいから、行きなさい」と言っても、「そんなことはできない。皆、やってきているのに」と言って動かなかった。だからと言って、息子は課題をやるわけでもなかったので、夫も私も、とてもイライラして登校を息子に強く迫った。その翌朝、ふとんにもぐりこんで出てこない息子を、夫はふとんから引きずり出そうとして格闘した。その時の息子の表情を、忘れることができない。顔面蒼白で泣き出しそうな顔をしていた。その日、結局、「お腹が痛い」と言って行かなかった息子を、夫は夜もなじったけれど、私は強く言っても改善しないような気がしていた。でも、私も有効な方法を思いつかなかったので、なだめて学校に行かせようとした。担任の先生は、一週間ほど毎日、「どうしましたか」と電話をくれ、私は「かぜをこじらせてしまいまして」と答えていた。5月の半ばに「一週間後に中間テストがあるのですが、大丈夫ですか」と担任から電話があったとき、ずいぶん迷った末、「相談したいことがある」と申し出た。

 夫と一緒に学校に行き、担任の先生に「どうしたら学校に行けるようになりますか」と尋ねたが、はかばかしい返事はなかった。「中間テストが終わったら一度、家庭訪問をして登校を促しましょう」ということで話は終わった。
 担任の先生が来ることを聞いて、子どもは嫌がったが、約束どおり担任の先生は来てくれた。ただ、担任に顔を見せることはなかった。この日から6月の初めまで、夜には「明日は行くよ」と言っていても、翌朝には行けないということが続いた。6月の中旬頃からは、朝起きてこないようになり、次第に昼夜逆転の生活に入っていき、昼間はずっと寝ているようになった。夜は、何をやっているのかと思ったら、パソコンの前に座り、夜通しゲームをしているようだった。人と話したりすることが極端に少なくなっていって、夫が今の生活を変えるようにと久しぶりに説諭した日の夜は、部屋でドンドンと大きな音がしていた。次の日に見ると、息子の部屋の壁にこぶし大の穴があいていた。この頃には、私自身がいつもとても憂鬱な気分で、息子のかわいかった頃のことを思い出したり、私たちのよい息子がどうしてこんなになってしまったのかと考えて、涙を流したりした。子育てが間違っていたのかと、悲しくなった。

 夫は、息子の変わり様と、私がふさぎこんでいるのを、心配していた。自分でもどうしたらいいのか分からないようだったが、私の愚痴をよく聞き、「二人で一緒にやっていこう」と言ってくれていた。担任の先生と連絡を取ったところ、教育相談機関を教えてくれ、相談に行ったらどうですか、ということだった。何になるのだろうと思いながらも、わらにもすがる思いで相談機関の門をたたいたのは、9月のことだった。

  初めての時は、夫と一緒に行った。相談室で、私たちは相談員に促されるままに、これまでの経過といかに困っているかを、一時間近く話したのだと思う。じっくり話を聞いてくれたように感じた。「大変でしたね。そんなに特別なことが起きているわけではありませんから、大丈夫、何とかなりますよ。これから一緒に考えていきましょう」という言葉を最後に、相談室を出たときには、部屋に入ったときよりは何とかなりそうな気がしていた。このときを初めとして、この相談室には、大体2週に一度の割合で半年あまり通った。

 相談員を相手にいろいろなことを話しながら、私は、多くのことに気づいていった。小学生の頃から、息子は成績優秀で、そういう息子を誇りにも思ってきたのだが、関心が勉強ということに偏りすぎていたように思う。高校受験のときは、それがピークで、志望校に合格したときは、たぶん息子より私の方が喜んでいた。高校生活が始まると、周りが皆成績優秀で、そこに埋没しそうになる自分をたまらなく辛く感じていた息子の気持ちに思いいたらず、私は毎日励まし続けていた。そのような私を苦痛に感じたのか、息子は、「お母さんは、僕が大事なんじゃなくて、○高生であることが大事なんだろう!」と叫んだことがある。相談室で話をしていくうちに、私は、その言葉を思い出した。息子に対する考え方、関わり方を変えた方がいいと思った。息子の成績の優秀なことを認め、褒めるということではなく、16歳まで成長してきた息子そのものを認めようと思い、どうしたらそれが伝わるか悩んだ。それでも、私がそういうことに悩むようになると、息子は少しずつ笑顔を見せるようになっていき、学校・勉強といった話題以外の話は比較的できるようになっていった。親子の関係がスムースにいくようになるまでには、日にちがかかった。2月頃、言い出しにくそうに、けれどはっきりと、学校の話題を口にした。「通信制の高校に転入したいが、いいか」と。その言葉が苦しい日々の終止符だった。息子が、一人で決めたことを褒め、私たちには異存がないことを伝えた。息子は、ようやく高校生活を自分のものにしたのだと思う。

<本体験で参考となること>
@ 父親も一緒に問題に関わり、母親任せにしたり、母親を責めたりせず、母親を支えたこと。
A 相談機関に行き、話をすることで、子どもに対する見方、考え方に気づき、母親自身修正をしていったこと。
B 子どもの気持ちに母親の想像力が及び、子どもの気持ちに寄り添うようになったこと。そのうえで、本人の意思を尊重し、それを支援するようにしたこと。

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