親のための子育て経験談集 
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【不登校事例3】 私と娘との「1週間キャンプ」

   「お母さん、電話してくれない?」
 私の娘は、学校のご支援で専門学校へ入学することができました。現在、欠席することなく通学しています。1年の室長の役割を引き受け、漢字検定は専門学校の中でトップクラスとなるなど、学習面にも挑戦しています。小学校3年から中学3年まで友だちとの触れ合いができずに、不登校で引きこもっていたことがうそのようです。
 2005年10月のことでした。
 「お母さん、今度の学園祭。私の企画でみんなで表現するんだよ。私ね、中学を卒業してからすごく変ったでしょう。変れたのは、中2の時、ホームフレンドのお姉さんに、保育園キャンプ連れてってもらってからだよ。キャンプで出会った保育士さんたちのお陰だよ。特に、A子先生は、園児の世話で寝る時間がないほど忙しくても、私にまで、楽しく活動しやすいように気をつけてくれたんだ。私が変れたのは、A子先生みたいな保育士になりたいと思ってからだよ。お母さんがトラブって、2年の終わりからずっと学校に行けなくなったけど、保育士になりたいという希望を失なわずにおれた。専門学校に入れたのも、キャンプのお陰なんだ。(今の私を見せたいから、A子先生達に)電話してくれない」
 私は夜、床に着くと、娘が今まで歩んだことが思い出され、いつまでも眠れませんでした。

「お母さん、キャンプに行っていい?」
 娘は、生来の病弱に加えて、小学校3年2学期から友だちとのトラブルから不登校に陥りました。環境が変ればと期待して4年の時転居しましたが、改善されませんでした。中学校では、同級生や先生方が細かい配慮をしてくださいましたが、相変らずでした。家ではとても明るく家事を手伝ってくれます。姉と妹がいてとても仲良しで、連れ立って外出します。特に、妹の面倒はよくみるいい子です。私には、不登校が学校のせいだと思えてなりませんでした。
 娘に転機の兆候が現われたのは、中学2年の6月ころでした。相談員の先生とホームフレンドのお姉さんの訪問があってからです。娘は、お姉さんとの相性がよかったのか、訪問をすんなり受け入れ、次第に打ち解けて行きました。お姉さんと、学校と離れた場所に設置された適応教室に通うことができるようになりました。
 7月初旬のことでした。「私、キャンプ出来るかなあ」と、娘の発した言葉に耳を疑いました。保育園児が夏休みに山で行う1週間の野外キャンプに、お姉さんが誘ってくれたのです。家族や私と離れての外泊は、一度もなかったのです。一抹の不安がありましたが送り出しました。

「お母さん、保育士になりたい」
 キャンプ1日目の夜のことです。娘から帰りたいという電話があり迎えに行きました。私は、道に迷いキャンプ場には着けなかったのです。2日目も迎えにきてほしいという電話がありました。電話中電話の向こうで「お姉ちゃん、早くおいでよ」と言う保育園児の声と同時に、「お母さん、もういいからね」と電話が切れたのです。
 4日目からは、もう、電話はかかって来なくなりました。
 娘はキャンプから帰ってくると、見たことがない明るい顔で、「お母さん、私、保育士になるんだ」と言うなり、2階に上がっていったまま降りてきませんでした。理由を聞きに部屋へ見に行った時には、もう寝入っていました。見事にキャンプをやり抜いたのです。
 娘と離れて暮らしたキャンプの間は、私が娘より不安だったのです。同時に、娘が病弱だったことに手をかけ過ぎ、娘の自立の妨げをしていたこと、対人関係が出来ないのは、学校が原因と決めつけている私がいることに気がつきました。キャンプのお陰で、私の子育てのあり方を見直すことが出来ました。
 娘もキャンプを境に変化しました。キャンプ直後に娘自ら、適応教室の指導員の方にお願いして、適応教室のキャンプを実施しました。2学期になると、中学校が教室に入れない子のために用意した学習室に通級するようになりました。そして、学校は娘のために教材を用意して、常に誰かが付き添い勉強を教えてくださいました。不登校であった娘ですので、時々疲れて休みますが、意欲的に通い続けていました。学習の不足は、塾で補いました。娘は、自信が出たのかテストも受けるようになりました。

「もう学校へは、行かない」
 2年の12月、進路の相談日のことでした。娘が保育士を目指して頑張りだしてきたので、普通高校の進学を希望しました。学校と意見の食い違いがあり、娘の前で私は担任の先生と言い争いをしました。この後、娘は、卒業するまで中学校へは行きませんでした。ただ、相談員の先生やホームフレンドのお姉さんは会うことはできました。家では、姉を頼りに勉強をしていました。キャンプ後開始したピアノのレッスンも続けていました。車酔いがあり遠出は極端に嫌がるのに、キャンプでお世話になった保育士さんの保育園へは、2時間もかけて通い続けました。園から帰ると、運動会や音楽会の裏方で終日立ちっぱなしだった事や炎天下や、寒い舞台裏での過酷な作業など、保育士さんや園児との出来事をとどまることなく話し続けました。

「電話してくれない?」
 娘は、現在進化し続けています。恥ずかしそうな仕草で「電話してくれない?」と言った心中には、自分の変化した姿を、保育士さん、ホームフレンドのお姉さん、相談員の先生に伝えたかったのでしょう。

<本体験で参考となること>
@ 保育園児や保育士など新しい人と出会えたことで、自らに自信ができ、保育士になりたいという夢を持つことができたこと。
A 自然とふれあう体験活動を行ったことで、自らの生活環境を変えることができたこと。
B 1週間子どもと離れたことにより、母親が母親自身を見直せたこと。


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