
しかし、大雲寺周辺にあった精神病者のための宿屋が、ゲールの家庭看護と同様のものと捉えられ始めるようになってから、岩倉が単なる伝統的な治療の場ではなくなってきました。この認識の転換は岩倉にとって、非常に決定的で重大なことでした。岩倉の宿屋は、江戸時代から明治期の比較的初期に起源をもつ ものが4軒ありました。それはずっと茶屋とか、宿屋と呼ばれてきたんですけど、いつの頃からか「保養所」と名前が変わります。これ自体非常に意味があると思うんですけども、旧来の4軒の保養所に加えて、大正時代の終わりごろから、精神病者の保養所の設立ブームが起こります。そして昭和の初期には、岩倉の10軒ほどの保養所に300人くらいの精神病者が滞在して、比較的自由に暮らしていたといわれています。ところが、この保養所がどうなったかといえば、第二次世界大戦のときに、食糧難となりまして、次々に閉鎖されて、すべてなくなってしまいました。今は残っていません。というわけで、いずれにしても、ベルギーのゲールの影響が、こうしていろいろな解釈を経て、遠く日本の精神医療にも非常に影響を与えています。
とても今日のお話では語り尽くせないものもあるんですが、ここまでにしておきたいと思います。どうもありがとうございました。