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親子のふれあい 福冨 孝弘 思い出に残る親子のふれあいって何だろう? 一緒にお風呂に入ったり、食事をしたり、宿題をやってみたりするのもいいけれど、私は親子で共通の目標を持ってそれに向かって協力し頑張ってみるのも有意義だと思います。 そこで今年の夏休みは健康づくりも兼ねて二日に一回親子で木曽川まで散歩をしようという事に決めました。六月の終わりに計画を立て、早速二人でB紙にカレンダー割りした計画表を作り、中にはこの企画の目的やルールなどをびっしり書きました。そしてそれを玄関先に貼り、実行できた日は○を付けました。今年の夏は雨が多かったので傘をさして出掛けたことも何度もあり、大変ではありましたが何とか目標を達成することが出来ました。娘にもよく頑張ったと褒めてやりました。二人で手をつないで歩いた二ヶ月間、楽しそうに話す娘の笑顔と、○で一杯になった計画表が今年の夏休みの最高の親子のふれあいとして思い出に残った事と思います。 子供との魚釣り 香川 正和 少し前から子供が魚釣りに興味をもち、釣りに行きたいというので、自分が子供の頃よく釣りをしていた故郷の小川で三十年ぶりに子供と一緒に釣りをしました。 自分の子供とあの小川で釣りをすることになるとは思っていなかったので楽しかったですし、子供がどうしたら釣れるか一生懸命考えながら場所を変えたりしているのを見ていると、昔の自分を思い出して懐かしかったです。 また、こうやって生き物と接していくことで、みんながんばって生きていることや、自然の厳しさなどを実感としてわかってくれるだろうし、いつも食べているものが、動物や植物の命を分けてもらっているんだということがだんだんわかってくれるだろうと一人で納得しています。 何でもチャレンジ 匿名 最近のTVコマーシャルで某車メーカーで『物より思い出』というフレーズがあります。とても大切な事だと思います。何にでも見て聞いて触って体感する事がとても大事です。私たちの子供の頃の様に遊び場が少なくなっている最近、とても困難になりつつありますが是非、何でも挑戦し、失敗を恐れない子になって欲しいと思います。 夏休みの思い出 匿名 私が子供の頃 両親が働いていたので、夏休みに家族で出掛けたと言う思い出がありません。本当は覚えていないだけかもしれませんが…だから出来るだけ休みの時には、家族で出かけたいと夏休みには色々な所へ行きました。 子供が大人になって「夏休みの思い出」が無いと言う事のないように。 子供と一緒に「夏休みの思い出」を子供に返った気持ちで。 なつやすみ とのおか ショウイチ ぼくのおとうさんと、おかあさんは、のうぎょうしごとをしていました。 なつやすみになるとそのおてつだいをして、ほとんどあそぶ日もなくて、すごくたいへんでした。 しゅうまつには、しんせきのうちでいとこたちと、あそんだり、たまにはとなりのともだちとあそんだりもしてきました。ぼくのなつやすみは、ほとんどりょうしんのおてつだいをしていたので、あまりおもいではないのですが。 ぼくの、おてつだいでおとうさんと、おかあさんの、うれしそうなかおをみるのが、いちばんたのしかったのかと思います。 祖母のぼたもち 匿名 夏休みの思い出ということで、真っ先に頭に浮かんだのは、今は亡き祖母の面影でした。 小学生の頃、祖母の家の近くで、毎年大きな花火大会が行われ、親戚一同、祖母の家に集まり、楽しく賑やかな宴会が催されました。そのとき決まって登場する料理に、祖母お手製のぼたもちがありました。私は、そのぼたもちが大好きでした。花火に盆踊り屋台など、他にも子供にとっての楽しみは、多かったはずですが、特に心に残る、美味しい記憶です。 祖母が亡くなってから、その味を懐かしみ母がぼたもちを作ったことがありましたが祖母のあの味には、適いませんでした。 夏が来る度、あの懐かしい味を思い出し、優しかった祖母を偲んでいます。それと同時に、子供を持つ母親として、祖母のように、心に残る母の味を、我が子にも、伝えてあげられたらと思います。 がんばること 匿名 物が豊富で我慢するとか、苦労して手に入れるとかが苦手な子が多くなっている昨今、我が子も同じで少々困っています。親の姿が子の鏡とよく言われ、自分の育て方にも自信を失いがちです。自分が育ってきた昔を思い浮かべてみても、勉強をすること、運動をすること、他人に迷惑をかけないこと、やるべき事はしっかりやること等を大切にしてきた気がします。子供にも、同じようなことを要求している自分を感じつつ、それ以上のものを求めているのかもしれません。 目標を持って、努力すること、他人の気持ちを考えて発言したり、行動すること、この二つを今後も、子供達が意識のどこかにあってくれるとありがたいものです。学校生活、家庭生活、スポ少、遊び、習い事、すべてのことを、ひとつずつ、きちんと努力できる子供であってほしいと思っています。 夏休みの想い出 稲垣 浩人 うっとおしい季節が過ぎて、待ちに待った夏休み。今年はどんなことして過ごそうかと7月20日ごろにはあれやこれやと考えていたころを懐かしく想い出します。 夏休みといえば一番の想い出は、小学校三年生ぐらいだったと想いますが、今でこそ簡単に出来上がる木製の模型などが売られていますが、そんなものがあるはずもなく、板わさの木、それにフルーツの空き缶、真っ黒の紙を使ってSLの模型を作ったことです。当然自分の力で出来るはずもなく、又、当然のように父親が大半を作ってくれました。器用に木に穴を開けたり、木を丸くけずったりとても子供の手におえるものではありませんでした。 初めての作品だったかもしれませんが、父親の作り上げたちっぽけな夏休みの想い出の一つです。 輝け!!子供達 匿名 今ではごく普通のサラリーマンの私ではあるが、これでも小学生時代はプロ野球選手を夢見る野球少年でした。 私の小学校の夏休みの思い出といえば「野球」と言ってもいいぐらい毎日のようにボールを追っかけていた事を思い出します。 お世辞にも上手いと言われる選手ではありませんでしたが、仲間達と一緒に照りつける太陽のもと練習、試合に取り組んだ事は私の人生の中でも大きく輝く財産です。 さて、無気力な子供が多いといわれている昨今ですが、「まずやってみろ」と言いたいです。どんな小さな事でも精一杯がむしゃらになって取り組める人になってもらえればと思います。 結果などどうでもいいのです。 がむしゃらになっている姿こそが子供達が一番輝く瞬間なのだから。 山登り 匿名 去年は白馬、その前は駒ヶ岳、お父さんの山好きにおつきあいしてもう何年になるだろう。仕事の関係で山岳救助隊を経験して以来、山に魅せられて家族全員を引っ張ってきた。まだ子供が幼い頃は、おんぶしながら登ったこともあった。「よし!今年は八ヶ岳だ」「え〜また登るの、Mちゃん今年も東京ディズニーランドに行くってさ、いいな」 子供達はお父さんに言わないで私に文句を言ってくる。私だって、たまには高級旅館に泊まって、上げ膳据え膳したいな。去年の白馬はホントつらかった。でも結局八ヶ岳登山道まできてしまった。(やれやれ、)一時間、二時間かなり登りつめても、木立に囲まれながら先はまだ続いている。足取りは重くなりまるで出口のない長いトンネルのようでつらい。 でも、七合目をしばらく行くと急に景色が変わる。 標高一七〇〇bをすぎると山肌があらわれ、木々は低くなり岩ばかりになる。足下にコマクサやウスユキソウなどの高山植物が頑張れとばかりに咲いている。頂上が近いのがわかると、不思議だ。あんなにつらかった山道も一番乗りを目指して足足は自然に軽くなる。四時間以上歩き続けてやっと山頂にたどり着いた。天気が良くて、遠くに富士山も見え、広大なアルプスの眺めは日常の生活の様々なものをふきとばしてくれるほど美しいものだった。 子供も私も「来て良かったね、連れてきてくれてありがとう、お父さん。」と素直につぶやいた。いつまでこの子達と山登りできるかな?また、行こうね!お父さん 初めての夏休み 高津 津由紀 あなたが初めて体験する夏休みは、母にとっても初めて迎える夏休みでした。夏休み早々、大好きなおばあちゃんが亡くなるという悲しい出来事がありました。号泣する私を心配そうに見ていたあなたは、どう感じていたんでしょうか。 何はともあれ、毎日同じ様なメニューのお弁当を持って児童クラブに通い、楽しかった一日の報告をしてくれるあなたを見ていて、いつもいつもかまってあげられないことを心の中であやまりながら、それでも日々、たくましくなっていくことをうれしく思う母です。 何か一つでも思い出を作りたくて行ったディズニーリゾートで、大好きなアリエルのショーを目を輝かせながらうれしそうに見ていたあなたの顔が忘れられない母です。あなたの笑顔が、母のやる気を起こさせます。がんばらなくちゃ!と思えてしまうのです。 「風の盆」 今井 隆生 二十年前の夏休み、友人らと立ち寄った富山の町で目にした「風の盆」と書かれたちょうちん。町の人に聞くと、今日から豊作を祈る「風の盆」がはじまると言う。小説の一説で読んだ事があると思い、夜を待つことに。ほとんど観光客もいない中ではじまった、越中八尾町の「おわら風の盆」。 物哀しい胡弓の音と編み笠をかぶりゆっくり踊る人々を見ていると、なぜか涙があふれてきたことを、今でも忘れられません。今年も夏休みが終わり「風の盆」の季節、テレビや新聞で報じられる様になり、二十数万人の人出とのこと、あの山深い町のすばらしい伝統が壊されることなく、いつまでも続くよう祈っています。 そしていつか我が子にも、あのふるえる様な感動を味あわせてあげれればと願っています。 がんばれ!我が子 匿名 仕事上の都合により今年七月より豊橋へ単身赴任しており、丁度学校の夏休みと重なってしまって、子供との会話が少なくなる矢先の出来事です。子供から「お父さん、夏休みになったら豊橋のお父さんの所にお母さんと、電車に乗って行くからね。」 冒険心旺盛な子供に対して、不安がりな母親を「僕がいろんな情報を聞きながら行けば良いから大丈夫だよ。」と、心強い言葉が会話の中から連発される。何とも頼もしい我が子だろう。優越感を感じる。スポーツ少年団で、サッカーを体得している我が子よ!練習しだしてからまだ日が浅いのだからすぐには上手にはならないの、だから少しづつでも監督やコーチのアドバイスを聞いて、自分なりに身につけることが大切だよ!人が何だかんだ言っても気にしない事が、自分に勝ことだよ! 遊び心は、旺盛な我が子、学校の勉強も真剣にがんばって欲しい! 子供達へ 匿名 「机の上をいいかげんにかたづけなさい。」 「宿題は終わったの。それだけでいいの」 君達の顔を見ると、毎日毎日同じ事を言っている。 ふと気がつくと、お母さんも子供の頃同じことを言われていた気がする。 そのときは、「うるさいなあ」とただ思った。 だけど、今思い返すとやっておけばよかったと後悔する事も…。 だからあなた達にも後悔してほしくないからうるさく言うんだよ。 わかってほしいと思ってもなかなか現実にならないとわからないと思うけど。 あとで、「ああ。」と思っても遅い。 そこをわかってほしいな。 「海へ行った夏」の一日 小島 優 昔のように、暑い日々の続く夏は、今年も又、来なかった、そんな気がします。 夏が夏。そして冬が冬でなくなってしまうのでしょうか? 会社の夏の休日と子供達の塾の無い日及び少年野球の試合の無い日で上手く合う休みに海へ行こうと予定しましたが雨とか降るのではと当日まで気が気でありませんでした。 待ちに待ったそんな日は、カンカン照りでもなく、雨も降らないとても良い一日になりました。 数年後には、そんな子供達も、親でなく、友達と行くようになり、「子どもと行く海水浴」というものも、あと一生の内で何度有るのであろうと思うと、とてもさみしい思いが、いたしました。でも、こんな一日を過ごすことが出来るのも、子供達が健やかに育ってくれているお陰だという事に感謝したいです。 風の中で感じた夏 匿名 私の義妹は、新潟県の南魚沼郡という町に住んでいる。日本一おいしいお米“こしひかり”の産地で有名なところだ。小学校一年生の甥っ子は通学に片道一時間かかるのだが、その道のりはとても楽しいらしい。木イチゴやへびイチゴの実を食べたり、ザリガニを捕まえたりしながら帰ってくるからだ。彼らの周りには自然の遊び場がたくさん残っている。 夏休みに主人と小二の娘と三人で初めて新潟を訪れた。一面に広がる緑の稲と青く澄んだ空。きれいな水と空気がおいしいお米を作るように、子供達の心の旨味も引き出してくれるような気がした。テレビやゲームでは得ることのできない自然。その恵みによって五感(視・聴・臭・味・触覚)を磨き、感性豊かな人間に育っていって欲しい。 新潟のさわやかな風の中で触れた我家の夏の思い出でした。 小学生の夏休み 匿名 私の小学生の頃の夏休みといえば、毎日のように普段の学校へ行く時よりも早起きをして、ラジオ体操に出かけました。早起きをすることは、とても辛かったのですが、ラジオ体操カードの判子がいっぱいになっていく喜びもありました。 また、友達と誘い合って、学校や市のプールへ通い、近くの公園や空き地で疲れも知らず、汗いっぱいになって遊んでいたように思います。 今、私の子供は毎日お弁当を持って、児童館に通っています。幸い児童館が好きで喜んで通っていますが、本当は、友達を誘って元気いっぱいにはしゃぎながら、真っ黒になって、遊びまわり、そして、そんな遊びの中から、色々なことを学び、成長して欲しいと思っています。しかし、今の時代、そんな風景を見ることは無理なのでしょうか・・ 一番の宝物 今井 由里子 あなたの宝物はなんですか?テレビゲーム・カード・プーさんのぬいぐるみ・たくさん集めた消しゴム・・・ いろいろあるでしょうね。 でも、お父さん・お母さんの一番の宝物は『家族』です。ダイヤの指輪や高級腕時計よりも、お金では買う事ができない、自分の家族が何よりの宝物なのです。 「お父さんとお母さん、どっちが好き?」よく聞く事がありますね。怒ってばかりのお母さん、仕事が忙しくて遊んでくれないお父さん。だけど二人共、大好きだよね。 お父さん・お母さんは、自分の子供は、比べられない程、みんな大切です。だから答えられないから聞かないでね 「お兄ちゃんと私、どっちが好き?」なんて・・・ 無題 加藤 由美 夏のゆかた姿を見かけると想い出します。四才の時の初めての夏の発表会。四才の頃から母に連れられ、通った琴のおけいこ。四才の私に三十分の正座と、「ドレミ」ではなく、「一二三・・・斗為巾」の譜面になじめず、苦痛だった。初めての発表会は、「ゆかた会」。出るのがいやでいやで。「間違えずに弾いたら、お化粧セット買ってね。」とその頃、テレビのコマーシャルでやっていた子ども用化粧セットを買ってもらうことを条件に、発表会に出た。二曲弾いて、途中で間違えたが、何とか弾き終えた。間違えたことより、大勢の人の前で弾き終えた満足感。「お母さん、早く買いに行こうよ。」「途中で間違えたでしょ。」今から思うと、練習不足で、弾けないのは当たり前。母のひざの上で、しばらく泣いたのを覚えています。結局、化粧セットは、私の手に入らず、母の当時の強い姿勢は、四才の私には、冷たく、厚い壁に感じられたが、小さいながらにも、やるべき時には、きちんとやるというけじめを教わった気が致します。 本を読め、活字から想像しろ! 中村 壽男 過日深夜、二千通を越えるリクエストにより、NHKアーカイブスで「なぞの転校生」総集編が放送された。これは千九百七十年代の平日夕方に放送されていた少年ドラマシリーズのひとつ,SF作家眉村卓氏の原作である。同シリーズでは、「未来からの挑戦」、「幕末未来人」など彼の作品が数多くドラマ化された。四十代のご父兄にはご記憶にある方も多いであろう。私も当時、学校から戻ると夕飯までの間テレビに対峙した一人である。 「なぞの転校生」は、核戦争が起こった別世界の人々が地球に逃避してくるというストーリーであるが、そこには巨費を投じた宇宙船も戦闘シーンもでてこない。ほとんど学校が舞台であり、それらは出演者の会話により、視聴者に背景を想像させる作りになっていた。今日,CG技術の発達により、映画,TV、コンピュータゲームに至るまで、ビジュアル面が強く先行し、このような作品は皆無である。このままで子どもたちの想像力が培われるのであろうか。いささか疑問である。 少年達よ、漫画やTVばかりでなく、本を読め。活字から想像しろ! 初めての夏休み 吉田 直子 毎年夏休みになると、長男は質問した。 「お母さん、夏休みって何?いつ来るの?何日間?」夏休みは四十日間。しかも、その間学校はずーっとお休みで、宿題ちょこっとやりさえすれば、あとはやりたい放題。遊びたい放題。それが私の子供時代の常識だった。けれども、自分が親となった今、子供たちには、「夏休みは毎日お弁当持って学童へ行ってね。」と答えるのが常識となってしまった。だから、毎日児童センターで過ごす子供に、夏休みという実感がわかないのだろう。とても可哀想に思った。申し訳ないと思った。けれども、夏はとにかく忙しい。何度、この家業を恨めしいと思ったことか…。しかし、今年初めて長男は質問しなかった。その代わりに、「夏休みは弁当持って学童行くぞ。文句言うなよ。」と、自ら妹や弟に言いきかせた。抱きしめたくなる程、嬉しくて涙が出た。 夏休み 吉田 まゆみ 『楽しい夏休みにしてあげたい。』といつもそう思う。『いろんな思い出を作ってあげたい。』とも。 私が小学生の時は出かける所も今みたいにたくさんなくて、車もお父さんが乗るだけだったからどこにも行けなかった。だから毎日同じ事の繰り返しで、学校のプールへ行ったり、町のプールへ行くのが楽しみだった。それはそれで良かったけれど、これだけ遊ぶところがあるとそれだけではかわいそうな気がする。行けばお金だっているし疲れるんだけど、けっこう私も子供の時に出来なかった夏休みを楽しんでいるのかも。 でも、これを当たり前だとは思わないでね。お父さんが頑張って仕事してくれたおかげ。お母さんが毎日毎日ガミガミ言ってでも、世話してるおかげで、行けるんだからね。楽しい夏休みにするのもしないのも、あなたたちしだいだよ。宿題、早く終わらせちゃおうね。 夏休みの思い出 大竹 利幸 私が育ったのは、岐阜の山の中です。夏休みに入っての楽しみといえば近所の川での川遊びでした。当時は、小学校にプールなどない時代なので、毎日午後になると出かけたものです。プールと違って川遊びですから、潜ったり岩から飛び込んだりと自然の中でやりたい放題です。当然泳ぎはあまり上達しません。高学年になるとだんだん高い場所から飛び込めるようになって、それ相当のところから飛び込めるようになると一人前と見られたものです。それぞればらばらに遊んでいるようで、高学年は低学年の面倒をちゃんと見るというある種の秩序がしっかりとありました。 この川は今でも幸いにして遊ぶことが出来、地元の子供やキャンプに来た街の子供達でにぎわっています。しかし、昔に比べると川が汚れてきているのも事実です。いつまでもこの自然を残してやるのが我々大人の責任です。 なせばなる・・・ 匿名 「為せば成る為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり。」 これは、江戸時代末期の、上杉鷹山という殿様の言葉です。意味は、『何かを決める時に、(できるか・できないか)を考えている間はできるかもしれないと解っても、決して出来ない。大事なのは(やるか・やらないか)を決める事で、あとはやりとげるだけなのです。』あなたたちが、戦争の不安もなく、毎日おやつを食べ、朝昼夜のご飯もちゃんと食べられ、大人たちは世界最高水準の給料をもらえるようになったのは、わたしたちの先輩たちが、資源の少ないこの国を、世界一にする為に、いろいろな技術を開発し、改善し何をするのかを決め、やりとげるまでやってきたからなのです。あなたたちも、これからやると決めたらやりとげられるようになる為に、今何をするのかを決め、やりとげて下さい。 水泳 林 龍春 私は、水泳が嫌いだ。なぜならいわゆる 「カナヅチ」という人間だから。 夏になると体育の授業は、水泳になる。 泳げない私は、いろいろと理由を作って授業を見学した。誰が水泳なんて考えたんだろう。真剣にそう思った。 6年生の夏、泳げない生徒を対象にした課外授業が始まった。25b泳げない子を泳げるまで練習する特訓というやつだ。一人だったら逃げたかもしれない。でもその時は一緒に特訓を受ける友人がいた。仲良し三人組。偶然にも三人とも「カナヅチ」。特訓というと恐そうだが意外に楽しかった。最初に25b泳げたのは私だった。続いて二人もすぐ泳げた。三人とも水泳が大好きになった。指導してくれた先生にとても感謝した。その年最後の体育の水泳の授業。遠泳で550b泳いだ。もちろん自己最高記録。私の27年前の夏の思い出。 一番の夏休み 匿名 夏休みの思い出の中で一番に思い出す事は、やっぱり泳げるようになった六年生の夏。それまでの夏は、とっても嫌で嫌でたまりませんでした。でも、その年の夏は私にとって、最高の夏休みになりました。六年の担任の先生が泳ぎ方を一から教えてくれたからです。少しでもできる様になるとクラス全員の前でほめてくれました。クラスの皆が拍手をしてくれました。そんな経験は初めてのことだったので、すごく嬉しかったのを覚えています。今でものその先生には感謝しています。子供にとってほめてもらえる事は本当にうれしい事です。自分に自信も持てる様になるし、人に認めてもらえた喜びは最高です。子供達にもそんな気持ちが沢山与えられる様にしたいと反省してます。もっともっと子供達をほめてあげようと思います。例え、小さな事でも。 夏休みの想い出 匿名 夏休みの想い出といわれて、いくら思い描いても、想い出らしき物が浮かんでこないのですが・・唯一つ思い浮かんだのは、学生時代、滋賀にいた私は、夏休みにはいると、当時は、宅配便もなく、宿題をする為に本、衣類等、重い重い荷物を持ち、実家へ帰り、又、滋賀に戻る。そんな事しか、思い浮かびませんでした。実家へ帰る安心感をつめ込んで。 滋賀での生活は、生涯唯一無二ともいうべき親友に出会う事の出来た実りあるものでした。卒論時には、その親友が毎日、毎日私のアパートに泊り込み、仕上げたものでした。同じ釜の飯を食べると言いますが、寝食を共にした友人というのは、又格別のものがあるのかもしれないと思います。遠くに私を思いきって出してくれた両親に感謝すると共に、子供達にも、生涯を通じて付き合える友人に出会って欲しいと願っております。 夏山登山 稲垣 勝成 夏休みの唯一の楽しみは、父が連れて行ってくれる御岳山と駒ヶ岳山への登山であった。 私の父は、山岳信仰に傾倒していたので、毎年夏になると百人規模の参拝ツアーがあり、それに連れて行ってくれたのだ。とは言え、信仰心などない私は、何箇所かで行われる二時間はかかるお参りの時間が退屈で、じっとしているのが辛かったのを覚えている。 ツアーには、高齢の人が多く、日の出を見るために夜の内から登り始めて頂上を目指すのは大変な事であった。そんな時父は、重い自分のリュックの他に疲れた人の分も背負ってあげたり、枝で杖を作ってあげたりして励ましていた。 今、私も父と同じ年頃となり、本当のやさしさと思いやりを何も言わずに教えてくれた父に感謝すると共に、この思いを我が子へも是非伝えて行きたいと思う。 夏休み 松隈 智子 思えば私の夏休みは、全ての時間を自分の為に費やしていた。鼓笛隊の練習、部活、成長してからはアルバイトに明け暮れる毎日。それでも両親は何も言わずに、笑顔で送り出してくれていた。子供の行動を信じていたのだと思う。今の子供達は少子化のせいなのか、何でも親がかりである。ラジオ体操ひとつにしても地域の大人がらみで、子供に主導権がない。親という字は、「木の上に立って見る」と書く様に、一歩置いた位置から見守るという姿勢が大事なのだと、誰かが言っていた。私は、我が子の一切を信じ、今は、夏休み中は留守番を頼み、仕事に出かける。(多少の不安は残っても、信じ切る事にしている。)私の子供の頃よりも、実はしっかりしているかもしれない我が子に、今年の夏休みのお礼を言おう。 「安心して仕事をさせてくれて、どうもありがとう。」心をこめて・・・・母より。 病院での夏休み 匿名 小学校四年生の夏休みの事です。病気のため、手術をする事になり、手術前日から検査入院をしました。始めての事でとても不安でした。何本もの注射、針が入らなくて、痛くてママは、泣いてしまったの。ママの横でグランマが心配そうに見てたことを覚えてます。つらい夏休みの思い出でした。 去年の夏休み、今度はあなたがケガで手術をする事になってしまったね。ママは、自分が痛い経験をしていたからあなたが同じ思いをするのを見ているのがとてもつらかった。そして、春休みにも再手術をすることになって、手術室へ向う時、恐怖からママと一緒に涙したね。まだまだリハビリが続くけど、少しでも動かせる様にガンバロウね! 今年の夏休みは、海にプールにコンサートにサッカーにうれしくて、楽しい夏休みだったね。いつも楽しい春夏冬休みにしようね。 夏休みの思い出 堀田 まゆみ 子供の頃、お盆は母の実家の飛騨ですごしました。母の姉妹家族が集まるもは、年に一回。子供達は全部で十一人。年齢はばらばらです。中には障害児が二人いました。でも、集まった時、みんな仲良く遊びました。 店が遠かったので、畑からすいかやトマトを採ってきて、山から流れてくる清水で冷やして食べました。特にトマトが果物のようにおいしくて、スーパーで売ってる物とは全く味が違いました。おいしいのは食べ物だけではありません。空気も水もおいしかったです。 毎年一週間ほど滞在しましたが、高山や下呂温泉などの観光地へは、ほとんど行きませんでした。豊かな自然と、親戚達の暖かい心だけ。とても大切な思い出になっています。 親としての夏休み 伊藤 美代子 今三児の母となっての夏休みの課題は、暑い夏に作る昼食と、楽しい休みとなるよう働きかけること。いろいろなことをする側ではなく、させる側になりその難しさを去年感じた。二年目の今年は、本人の自覚と去年の経験があり子供の成長を感じうれしく思った。自分が子供の時、嫌だったことを我が子が嫌がる気持ちはわかるけれど、自分に負けないで頑張れる強い精神を持ってほしい。諦めないで、小さなことでいいからやり遂げる満足感を味わってほしい。そう強く願い、その手助けを親も頑張っている。頑張った過程が大事で、満足感は自信へとつながるよ。 親として毎年何かにチャレンジすることを考えるのを楽しみとしよう。つらいことも楽しいことも子供と一緒に歩いてている。衝突もするし、泣いたり怒ったりしても最後に笑顔があるからー頑張ろうね。. 太陽の子供達 匿名 私が小学生の頃の夏休みから、三十年近くの年が過ぎ、娘達の夏休みを迎えることになりました。近代では、情報化社会となり、子供達の遊びも、パソコンやテレビゲームでの遊びが、ごく普通となっています。 私の夏休みの遊びは、というと、他人の家の畑や、工場の駐車場で、草野球を朝から晩までやっていました。顔や腕は、真っ黒に日に焼け、膝には、すり傷がありました。確かに部屋で、テレビゲームをしている娘達を見ましたが、夏休みが終わる頃には、プールで真っ黒に日焼けした娘達を見て、なぜだが、とても安心したのです。娘達よ、時代は変わっても、外で元気に遊びなさい。その証として、真っ黒に日焼けした顔を見せて下さい。私はあなた達のそんな姿を見ると、嬉しさを感じます。 太陽の子供達へ 伝えたい事 高瀬 千秋 お母さんは一年生の時、全然泳ぐ事ができませんでした。くやしかったから夏休みに学校のプールに行って、一生懸命伏し浮きの練習をしました。最初は、全然できなかったけれど少しずつ少しずつできる様になりました。上手にできる様になった夏休みの終わりに、お母さんのお母さん(おばあちゃん)に見に来てと頼みました。約束通りお母さんのお母さんは来てくれました。目と目で合図をして「えい」ってプールで伏し浮きをしました。家に帰って、頑張ったねと誉められた事、26年たった今でも覚えているよ。とーっても嬉しかったなぁ。できない事でも頑張ればできる様になる事、それを見守っていてくれる家族や先生がいる事、お母さんなりに感じたお母さんの一年生の夏休み。お母さんの大切なあなたにも何かを通してこの事を伝えられたらいいなと思っているよ。 子どもは見てまっせー 林 正彦 『時を守り、場を清め、礼をつくす』という言葉がありますが、子ども達は小学校でこういう事を学び実践しています。 ところが大人はどうでしょう・・・ ゴミやタバコを捨てたりしていませんか? 順番は守れていますか?我が子に夢中になりすぎて周りを見失う事がありませんか? 私自身、この言葉の意味をもう一度かみしめて実行していきたいと思います。それが、親の役目であり大人の責任ではないかと思うからです。 言葉 匿名 子供が幼い頃は、よく一緒に絵本を楽しんだものである。 いつしか高学年になり、自分で本を借りて自分で読むようになった。近頃は、漫画ばかり見ているのが気になっていたが、テレビもアニメを次から次へと見るようになってしまっている。その中には、内容が狂暴であるだけでなく、「てめ〜」「〜してんじゃねぇよ」など言葉の乱暴さに不愉快になるものもある。 植物でさえ美しい音楽を聞かせるとその発達に良いというのであるから、人間にもそれは当てはまると思う。 言葉は心のあらわれを声にのせるものであるから、私たち親は美しい言葉、楽しくなる言葉、元気になる言葉をかけていかなくては、と反省している。 なやみ 匿名 なぜだろう どうしてだろう なぜこうなったかわからない そんなとき、目をつぶり 大きく三回深呼吸してごらん もしかして、その答えがわかるかも なやみは誰にでも 大人だってあるもの 長いトンネルを通りぬければ 必ずちがう世界が見えるはず 大人と子供の視点が違うように、大人にとっては 「たいしたことない!」と思っても子供には重大事件 に感じている場合が多いものです。ふと・・・。昔の自 分に振り返り、子供の視点に戻れば、親としての対 応策が見えてくるのではないでしょうか? ある夏休みの思い出 匿名 私は中学生の時、吹奏楽部に入っていました。その当時、その吹奏楽部は毎年のように、コンクール等で優勝していました。練習もとても厳しく、一年中ほとんど毎日、もちろん夏休み中も、何時間も頑張りました。 私が二年生の時、どういうわけか優勝できませんでした。当然勝てると思っていたので、全員がっくりしてしまい、号泣する人もいました。三年生の先輩達はこれが最後ですが、私にはもう一年あると思い、気を取り直して、また猛練習に励みました。大事な勉強との両立も忘れませんでした。 翌年は前回の屈辱を跳ね返して、見事に優勝し、全日本大会出場を果たしました。その時の部員全員の歓喜に満ちた感動は今でも忘れません。 このような充実した日々を、私の子供達にも是非送って欲しいと思っております。 海水浴 匿名 私の子供の頃の夏休みは、“なつのとも”という日誌と、絵日記が宿題でした。画用紙に一枚、絵も描きました。絵は、いつも海の絵でした。 毎年の海水浴は、とても楽しみで、いつも、真っ黒に日焼けしていました。今年は、娘達を連れて海水浴に、行きましたが、私の子供の頃と、少し違っていました。海の家のまわりは、ゴミだらけで、よっぱらいのおじさんや、カメラ付きケータイで、あやしい若者、泳いでいる人のすぐそばを、モーターボートなどで走る若者。せっかく開放的な海も、娘の手をぎゅっとにぎって、思いどおりに遊べませんでした。 この先、娘達が大人になる頃、世の中は、どうなっているんだろう。ちょっと考えながら、帰路ににつきました。 「田舎で」 匿名 夏休みといえば、小学校低学年迄は、兄と母と3人で母方の実家の九州に半月以上、遊びに行っていました。何もない田舎なので、いつも兄と川でザリガニを取ったり、田んぼのあぜ道を自転車でお菓子を買いに行ったり、おじいちゃんに作ってもらった竹馬で遊んでいました。 今みたいに、テレビゲームもない時代。しかし畑でとれた野菜を食べ、夕方には毎日の様になる激しいかみなりをながめ、夜はウシガエルの声を聞きながら眠る毎日。 何も特別な事のない生活でしたが、私達が帰るときは、しばらく会えないねと涙をうかべるおばあちゃん。 祖父母の優しさの思いきりつまった生活が田舎の景色と混じり合い、2人共亡くなった今でも、私の心の宝物となっています。 無題 林 昌子 「早く起きなさい、ラジオ体操遅れるよ。」夏休みの毎日は母親の言葉で始まった。 午前は宿題。絵日記、夏の友、観察日記、工作など沢山あり叱られ泣きながらこなした。午後からは暑い中往復一時間弱歩いてプール通いくたくたになって帰ってくる。母親が用意してくれたジュースを飲んでからが楽しい時間でした。公園で遊び、小川にくつのまま入って水遊び、蝉とり、真っ黒に日焼けして、日が落ちるまで外で思いきり遊びました。 学校へ行く時、より早起きして、毎日沢山の宿題をするのは楽しくないはずなのに、毎年、夏休みを楽しみにしていたのは、日が落ちるまでの外遊びと、四十日間大好きな母親のそばにいられたからだろうと思う。 自分の子供にもそう思ってもらえたら、親として幸せです。 無題 匿名 数十年前、私の夏休みは近所の神社で野球、陣地取り、かくれんぼ等々たくさんの友達との遊びの明け暮れでした。新しい遊びを発見したり自分たちで遊びを考えたりして無我夢中で遊びました。たまにはケンカもしたりしましたが今となっては懐かしい思い出となっています。現在もその神社は昔と変わらない風景です。しかし、子供達が遊ぶ姿を目にする事はほとんどありません。時代なのかもしれません。しょうがない事かもしれません。今の時代には今の時代の遊びがあり、たくさんの友達がいると思います。友達との遊びを大切にする事でたくさんの思い出が創られると思います。 あなたたちが数十年後に大人になって自分のいろいろな思い出が子供達に輝いた姿で話せるような退屈のない日々を過ごしてもらいたいものです。 祖父との思い出 匿名 私が二年生の時のことです。祖父が「豊橋へ行きたい」と言いました。目の見えない祖父が一人で行くことはできません。私がついて行くことになりました。電車にあまり乗ったことがなかった私は少し不安でした。しかし、目が見えなくても一人で暮らしていた祖父を、私はとても信用していたし、尊敬もしていました。 祖父は私の肩に手をのせて歩きます。階段では、手すりにつかまらせます。駅では、切符を渡さずに改札を過ぎてしまったこともありましたが、祖父は気づいてもどって行きました。私はただついて行っただけでした。 二年生だった私にとっては、この一日は大冒険でもあり、よい経験だったと思います。みんなにもいろいろな体験をしてほしいと思っています。 無題 匿名 私は泳げない子供でした。プールのあるこの時期はとても嫌いでした。 小四の夏休み、泳げない子の水泳教室があり、泣く泣く通った思い出があります。こともあろうに、校内で厳しいと噂される先生にあたり、怯えながら指導を受けました。初めはただ、先生に叱られない様にと必死で、この時間が過ぎて行くのを我慢していました。でも、日に日に一mでも長く泳げる様になると、毎日帰宅する度、母に報告するのがうれしくて、母も「絶対、泳げるからがんばれ!」と応援してくれました。 そしてこの夏休み、目標を達成する事ができ、私は夏が好きになりました。 この夏は私にとって、努力と忍耐そして、自信がついた夏となりました。 「かしこい人」になろう 匿名 先日、娘の友人が電車の中で聞いた話をしてくれました。ある頭の良い学校の生徒がその子に聞こえる様にある学校のことを「バカ校」と言ってたそうです。その話を聞いて私は言いました。いくら成績が良くて頭が良くても、人の気持ちがわからない人になってはいけないよ。もっと常識のわかる、かしこい人にならなくては、思いやりがあれば、そんな言葉は出ないはず。 私は子供達にそんな人の気持ちのわからない人にならない様に、「かしこい人」になってほしいと思います。 夏休み 大竹 正世 夏休みになると、毎年、子供達を、どこにも連れて行ってやることができない事を、悪いなぁと思っています。 「ごめんね。」 こんなお母さんだけど、これからも宜しくね! せんべい 昌山 友子 ずいぶん昔のことですが、私が小学六年生のことです。わが家は、今で言う片焼きせんべいを作って、お店におろして(売って)いました。そのころは、貧乏で生活も大変でした。 母は行商に出ていて、父と兄とが、せんべい作りにはげんでいました。家の中は、しょうゆの匂いと焼け焦げた匂いがただよって、私はお腹がすいてもおせんべいは食べれません。毎日匂いだけです。今は、どこの店に行ってもいろいろなお菓子や、もちろん昔、私の家で作っていたせんべいもたくさんあり、いつでも食べれます。 こんな世の中になり、今の子供達は本当にしあわせだと思います。だけど私は物を大事にする事と、食べ物をそまつにはしない事を話しています。お金があれば、何でも手に入る現在、物の有り難さを知ってほしいと思います。 草魂 繻エ 俊也 今年はパ・リーグの優勝争いをしている近鉄にも、弱小球団とよばれ、最下位が定位置という時期が、かつてあった。その時期にエースとしてチームを支え、打てない、守れないバックを背に、三百勝を稼いだ大投手がいた。鈴木啓司である。 高校卒業と同時に近鉄に入団。背番号1を与えられ、入団時からエースの待遇を与えられた彼も、並み居る先輩からの、やっかみに満ちた態度に悩まされた。「お前が相手に打たれなきゃ、おれたちが打たなくても勝てるんやろ」そんな言葉もあったようだ。 普通の人間なら嫌になって投げ出してしまうのだが、彼は違った。「負けるもんか!打ってくれないなら抑えきってやる!」この心意気で積み上げた勝ち数が三百。 「草魂」。名もない雑草のように強くなりたいと願った彼の座右の銘である。 冒険しよう 匿名 おばあちゃんの笑顔に会いに行こう 青い空 雲の峰 僕だけの夏の冒険 太陽が大きかった。 真夏の匂い 僕だけの夏の冒険 ある歌詞の一部です。 いっぱい冒険してほしい。いっぱいいろんな人に会ってほしい。いっぱい感じてほしい。いっぱいお話してほしい。汗と頭と恥をかいてほしい。 そしたら、人が、時間が、空気が、自然が、解る人になれると思う。 そしたら、生活が、毎日が、人間関係が、人生が楽しいすばらしいものにならないかな。 難しい事だから すこし頭のすみにおいてもらえたら、いつかわかってくれるかな。 いつでも 応援してるよ。 感動する気持ちを大切に 匿名 夏休みの思い出といって、特別なことはありませんが、デパート勤務だった父とは休みも違い、食事の時間も別で、普段はあまり一緒に過ごせなかった為、夏休みはよく遊びに連れて行ってくれました。その中で、どこの山だったのか覚えていませんが、ロープウェーで登ると雲が自分より下にあり、今にもつかめそうでつかめない、それをとても不思議に思ったことを思い出します。 又、中学生の時、中津川のキャンプ場に行って観た満天の星に流れ星。「わぁーすごい。」と大人も子供もその一言しか言えなかったあの感動も忘れられません。 子供達とも、涼を求めて山にでかけますが、夏なのに雪で遊んだ乗鞍岳や、新穂高の山々、梓川の夢のような美しさは、あの時感動したままに覚えておいてくれたらと思います。又、その気持ちを大切にして欲しいです 記憶の宝物 匿名 私が小学五年の夏休みの事です。学校で泳力検定を受けました。クロール二百メートル、平泳ぎ二百メートル、背泳ぎ百メートルを続けて泳ぐ一番難しい検定でした。泳いでいる途中、手も足も疲れてとても苦しかった覚えがあります。でも、「絶対泳ぐんだ。」という強い思いが合格に導いてくれました。その時の感動と溢れる様な喜びは、今でも忘れられない大切な思い出です。そして、これからもずっとずっと心に残る記憶の宝物です。 どんな小さな事でもいい、みんなもがんばった事が何か一つはあるはずです。それが、記憶の宝物になっています。何かに、くじけそうな時、自分の記憶の宝物を思い出して下さい。きっと「失敗なんて恐くない。がんばってみよう」と自分を励ます事ができると思います。そして新しい記憶の宝物を、たくさん作り続けて下さい。 決まりを守る 亀井 哲也 今年の夏休み、みんなでプールにいったよね。たくさんのプールの中にすべり台があったね。久美子はすべり台が楽しくて、なんどもなんどもすべったよね。 でも、次の日、また遊ぼうと思っていたけど、背の高さが足りないから遊べないよって、係りの人にいわれちゃったよね。 昨日は遊べたすべり台なのに…、 楽しみにして今日も来たのに…、 そういうかと思ったら、久美子は、 「決まりじゃしょうがないよね」っていって、すぐに別のプールで遊びはじめたよね。 思いどおりにならなくても、駄々をこねたりしない久美子に、パパはおどろきました。 ルールを守ることの大切さがわかっている久美子を、パパはうれしく思いました。 そんな明るく、元気で素直な久美子で、ずっといてほしいとパパは願っています。 なつやすみのおもいで かわい けんじ わたしのなつやすみのおもいでは、あおいそらとしろいにゅうどうぐも、そして、いえのやねのうえからみたはなびです。いまでもあおいそらとしろいくもをみるとこどものころみたそらをおもいだし、なつかしくおもいます。また、はなびをみると、はしごをのぼるのがこわくて、なかなかやねのうえにあがれなかったことをおもいだします。たつまはことしのなつやすみのできごとを、いつまでどれだけおぼえているかわかりませんが、おとなになって、こどもができたら、せみをとったこと、プールにいったこと、バーベキューをしたこと、2がっきのしぎょうしきでなつやすみのおもいでを、みんなのまえでがんばってはなしたことを、きかせてあげることができたらいいなぁとおもいます。これからもおとうさんとおかあさんとたつま、そして、みんなでおもいでをいっぱいつくっていこう。 私の夏休み 匿名 私にとって一番印象深い夏休みは、高校時代の陸上部での練習です。あの頃はきつい練習に加えて、先輩も厳しく、いろいろ大変だったけど、仲間と励ましあいながら、少しでもいいタイムが出せる様に頑張ったとても充実した夏休みでした。 あなた達もこれから先、たくさんの夏休みを迎えると思いますが、運動でも勉強でも何でもいいので自分が満足できる充実した夏休みを過ごしてください。 夏の夜 幸田 智恵美 「くそあついな。」 となりの弟が、うなる。姉の私は、「うちわで百回あぶってやるから宿題やれよ。」これが、毎夜の会話。 私が、子供の頃は、クーラーは、おろか、小さな扇風機一台しかなく、兄弟三人、うちわであおぎっこして暑さを凌いでいました。 そして、蚊を防ぐために八人家族の私は、蚊帳を四つもつるのを手伝って、蚊帳の中で、秘密基地にいるような気分でワイワイ言いながら、汗びっしょりでぐっすり寝るのでした。今は、クーラーがあって快適な夜。 とても昔のようになれないけど、ちょっぴり懐かしい。 夏の思い出 匿名 ぎらぎらとした太陽、焼けた砂浜、白い灯台、ヨット、そして波。泳いだり、砂を掘って貝やイソギンチャクを入れて遊んだり。本当に楽しかったね。この青くて広い海の向こうには、たくさんの人たちがいる。あなたが大きくなったら、お友達がいっぱいできるといいね。 遠い海にも行ったね。夕暮れの海から見える太陽がとてもきれいで、でも、少しさびしかった。お仕事で、沖に出て行く船もあったね。海の中にも、白い砂浜の下にも、緑の山の中にも、いっぱい生き物が暮らしている。あなたが大きくなったら、強くやさしい人になってほしい。 夏休み 匿名 毎日の仕事で、“夏休み”という思い出をつくってあげれなかったなあと思っていました。しかし、子供というのは勝手なもので、一日一日が満足していればいいのです。 学童に通う毎日だったけれど、不満も言わず行ってくれたことに感謝しています。 子供どうし遊んでいるだけでも満足しているのです。どこか遠く旅行に行けなくても。 自信をもって 野尻 誠 「お父さん、5メートル泳げる様になったよ」娘の夏休み最大の成果でした。聞けばクラスの大半の子はもっと泳げるそうですが、本人にとっては距離ではなく「泳げた」という事が、とても嬉しかった様です。真っ黒に日焼けし練習して達した目標は大きな自信につながった事だと思います。自分に自信を持つ事は、とても大切な事。これから大人になっていくと、たくさん、難しい問題にぶつかると思います。そんな時、この夏休みの事を思い出して下さい。きっと夢は叶うはず。 学校のプール 匿名 私達が夏休みのころは、プールが毎日のようにありました。 泳げない子でも必ず夏休み中には、25メートル泳げるようにとてもきびしく、きつい記憶が残っています。 しかしおかげで25メートルを達成する事ができ、その時の感動もしっかり思い出として残っています。 先生方も暑い夏休みに毎日、手とり足とり指導して下さったおかげだと、とても感謝しております。 時代とともに夏休みのすごし方が、少しずつ違ってきている感じがします。 あなたたちは、充実に満ちた夏休みをすごす事ができましたか。 冷夏 匿名 今年は、冷夏ですが、四年生の子が生れた十年前の平成五年も冷夏でした。 お米が不足して、大きなニュースになりました。 今年も、土砂くずれや水の事故、台風で多くの人が亡くなりました。 人間にとって自然は、大きな恵みを与えてくれますが時に、脅威になることも知ってほしいものです。 無題 林 英治 もうすぐ愛知県で万博が開催されます。私も物心がついた頃、大阪万博に連れていってもらいました。初めての新幹線、大変心をおどらせていたことを、今でもよく憶えています。人ばかりで、あまりたくさんパビリオンを見ることができなかったけれど、初めて世界に触れた一日でした。 愛知万博には、ぜひ子供たちを連れていってあげたい。世界の文化等、子供の心にきっと残ることと思います。自分もそうであったように…。 お昼ね 日比野 さき江 お母さんが、子供のころは、夏休みには、一日のスケジュールの中に一時間三十分のお昼ねの時間がありました。お母ちゃんは、働いていなかったので、いつも家にいました。そのころ働いているお母さんは、少なかったですね。お昼ごはんを食べ終わって少しすると、お母ちゃんとお兄ちゃんと妹と私と四人でたたみの上にころがって、しらないうちにねちゃってました。目がさめたあとのお父ちゃんが畑で作ってくれたスイカのおやつがとってもおいしかったです。 夏の思い出は心の中に 匿名 私の小学校の頃の夏休み、一生懸命思い出してみる。でも何も出てこない。困ったなぁこの作文書けないな。子どもに伝えたいメッセージの入った思い出…さっぱりと出てこない。 その代わりにね、具体的じゃないけど、あふれんばかりのありがたい気持ちが胸ふくらんでくるんだよ。私は幸せだった、ありがたい幸せな家族・家庭だったなぁ。父と母とおばあちゃんの愛情をもらい、お姉ちゃん2人と遊びけんかもし…。ありがたいという思い、大きな大きな感謝。 具体的な夏の思い出では伝えれないけれどありがたい大きな感謝の心の中に、夏の思い出があるんだろうね。 無題 今井 浩司 夏休みの大きな思い出の一つに、小学生の頃に見た「大阪万国博」があります。 日本中の殆どの人が入場したほどの大イベントで、『月の石』がその目玉でした。その小さな石を見るために、何時間も並んで待って見たものでした。これが宇宙時代の幕開けでした。 それからおよそ三十年。地球上では、戦争がまだ絶えませんが、悲しい残念なことです。 この夏、子供と共に長崎市の原爆記念館を訪れ、人類も宇宙も仲良くすることの大切さをいっそう強く感じました。 これからの三十年後、地球が宇宙の中で、一番すばらしい平和な星と言えるよう、みんなで仲良くして行きたいものです。 思い出づくり 匿名 日頃やりたい事があってもできないことが多い。 今のようにスポーツ少年団がなく、夏休みになると町内対抗の野球大会を楽しみにしていたものである。 最近はスポーツ少年団等があるので私のような楽しみはないだろうが、何か自分でやってみたい事を休み前に決めそれを実行してみるとよい。 つまり思い出づくりには、親から与えられた事をするのではなく、自分のやりたい事をするのが、良い思い出となるのではないか。 特に夏休みは期間が長いのと、親といっしょに何かできる時間があるので、そういうときにしかできない事をやってもらいたい。 「夏休みの思い出」 本多 ふさ江 私自身の子供の頃の夏休みを思い出してみると、ラジオ体操、日誌、学校のプール、虫獲りなど、今の子供達の夏休みとあまり変わらない生活を思い出します。けれど、雨の日に子供達がクーラーの効いた部屋でテレビゲームをしている姿を見ると、こんな事を思い出します。雷雨になると母が蚊帳をつってくれて、その中で本を読んだり、昼寝をしたりした事です。クーラーは、なかったけれど、母がうちわで扇いでくれる風は、とても心地良いものでした。 母親となった今は、夏休みに子供と一緒にどこかへ行ったり、何かをしたり感じたりする事全てが、大切な思い出になっています。子供達にとっても、大人になった時に、そのいくつかが心の中に残っていてくれたらと、思っています。 無題 匿名 私の夏休みの思い出ってなんだろう?と考えてしまいます。小学生の頃は、毎日のように学校のプールへ通い、今の子のようにスイミングスクールへいかなくても六年生には三百メートルは泳ぐことができました。9月にはまっ黒で、友だちと黒さを競いあったものです。 私の父は町の製材所に勤めていました。朝は8時から働き、休みも今のように週休二日制ではなく日曜日と祝日。夏休みも休暇をとったりすることもありませんでした。今、私の子供たちは夏休みといえば、どこかへ泊まりがけで出かけるのがあたり前のように思っています。それだけに、せっかく出かけた場所で何かひとつでも学んできてくれたかな?って思っています。 無題 渡辺 勝好 お父さんは、「ちびまるこちゃん」で有名な静岡県清水の小学校に通っていました。夏休みはとにかく近くの川か海で遊んでいました。高学年になると友達同士、弁当持参で川にかにや昆虫をつかまえに行ったり、路面電車で港に行き、外国船やりょうの船を見に行きました。夏休みの課題で一日一回、小さな親切をしなければいけなかったので、電車の中で、お年寄りに席をゆずったり、港で外国の人やりょう師の人に「ハロー」「大漁ですか」とあいさつをした事を覚えています。今、思うとあいさつが親切だったのかと疑問ですが、町全体の人が小学校の課題や行事を理解し、協力してくれていたと思います。 今は、子供が安心して遊べる場所が近くになく、少子化で子供が少なく、町全体が子供に目を向けなくなっている感じがします。また、近所のおじさんに注意されたことも小学校の頃の良い思い出です。 五目汁 小川 良子 今年もお盆に田舎へ帰りました。懐かしい里の景色に浸りながら、子供の頃の夏休みを思い出します。夏休みに入るとほとんどの家が、桃の出荷に、暑い暑いと言いながら八月半ば過ぎまで、忙しい日々を送っていた事を思い出します。そして、暦より十日程遅いお盆を迎えます。お盆には仏様に何種類かの決まったお供えをしますが、その中に『五目汁』と言うのがあります。母が毎年作ってくれる『五目汁』は大好きです。ごぼう、人参、里芋、なす、油揚げ、とうふ、あずき等々を大きな鍋にいっぱい入れて作ります。自分の畑で穫った素朴な食材がそのままに素朴な味わいを運んでくれます。親戚のおじさん、おばさん達も墓参りの帰りには二杯、三杯とおかわりをします。今年も、皆んなも、私も「ああ、美味しかった。」大きな声を出して帰りました。母も一年に一度の主役です。祖母からの味を我が子へとの思いも込めてか?八十歳を過ぎて今なお意気軒昂に作ってくれます。帰りの車中母への熱い思いが胸に、私も我が子に素朴なあの母の味を伝えたい思いが募ります。私もここ数年の間間作っていましたが、今年は格別思いを込めて作りました。子供達の「お母さん!美味しい」と言う言葉に、ホッとした気分と親孝行ができた様な気持ちになりました。我が子も大きくなっても母の味を覚えて置いてほしいと願います。 間作っていましたが、今年は格別思いを込めて作りました。子供達の「お母さん!美味しい」と言う言葉に、ホッとした気分と親孝行ができた様な気持ちになりました。我が子も大きくなっても母の味を覚えて置いてほしいと願います。 生き物とともに過ごした夏休み 匿名 夏休みのいちばんの思い出は、「せみ」や「カブトムシ」などの生き物採集です。 朝早起きし親や近所の子と森へ行ってカブトムシを探し、ジージージーと鳴き声を聞くとひっしにせみをたもでつかまえました。 家に帰ってからはムシカゴや時には部屋に放して、水をあげたり、えさをかえたり、「今日は何時になると鳴くかな」と楽しみに観察しました。いえ、いっしょにすごしました。 しかし、日がたつと死んでしまうムシもあり、悲しい気持ちで葬式をしました。残りのムシたちがかわいそうで、庭の木へはなち、自然へ帰したりもしました。 夏休みを通して、生き物といっしょにすごすことによって、生き物採集や観察の楽しさを知るとともに、生き物への思いやり、そして 生命の尊さを感じとってきたと思います。 宝物 上島 美嘉 あなたの笑顔は、おかあさんに対して心を開いているという、無言のサイン。 あなたの元気な声でのあいさつは、あなたとおかあさんをつなぐ鎖だよ。 おかあさんは、いつもあなたの優しい笑顔を待っています。それがおかあさんの宝物。 |