愛知県ビデオコンテンツ 『参候祭』
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  解 説

 稲目トンネルを北に抜けると設楽町田峯がある。田峯の交差点を左折し県道420号線を西に向かった最初の集落が折立(三都橋)で、その津島神社に伝承されているのが「参候祭」である。
 祭の起こりは定かではないが、天文18年(1549)には、田楽用馬一頭を折立11面観音に奉納した記録があり、最初は「田楽祭」が行われていたようである。現在の参候祭は、室町時代初期の延年風流の要素が加わり、また、江戸期にかけては風俗として流行した七福神信仰など、様々な変遷を経て現在の形になったようである。


 とっぷりと陽も暮れた午後8時頃、まず初めに拝殿より不動明王が登場すると、神座の禰宜(ねぎ)が「かかる尊き神座へことすさまじきなりをして出でたるは何者にて候」との問いに対して不動は「さん候、其(それがし)は滝に住む・・・」と名乗ることが、祭の名前の由来となる。不動明王に続き「恵比寿(えびす)」「毘沙門天(びしゃもんてん)」祭の前半最後に「大黒天」が登場し福俵の中の土産を子供たちに振舞い帰宅を促して中入りとなる。


 後半は「弁財天(べんざいてん)」「布袋尊(ほてい)」「寿老人(じゅろうじん)」「福禄寿(ふくろくじゅ)」がそれぞれ口上を述べたあと、3人舞の「太平楽」や11面観音の「駒」などが入れ替わり立ち代わり登場する。 やがて、11時を過ぎると「殿面の米打ち」の後、祭を締め括る「獅子」が登場し、湯釜の湯を撒き散らすなど荒れる獅子を「采払い(さいはらい)」が追い迎えて祭は終演する。  


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