親のための子育て経験談集 
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【その他事例2】 軽度発達障害の子が通常学級で生活するために

             −親、学校、医療機関が一緒になって−

   息子が小学2年生の1学期末個人懇談会の時だった。担任から「お子さんは突然パニックになったり、友だちとトラブルを起こしたりしがちで、少し他の子と違ったところが見られるようです」と言われた。その言葉を聞いた私は「今までそんなこと言われたことないのに。先生がわが子をしっかりみてくれないからそうなるのだわ」と腹立たしかった。すぐ夏休みに入り、家で子どもの様子を見ていたが、特に変わったところが見られず、そんな状況にほっとするとともに担任に対して不信感をもってしまった。

 夏休みが終わって2学期になった。担任から子どもがパニックになりやすいから学校に様子を見に来てほしいといわれたが、仕事もあったため、見に行けず、逆に担任にしっかり子どもをみてほしいとさえ思っていた。それがショックに変わったのは運動会の時だった。演技の時一人だけ違う場所で座り込み、先生たちに声をかけられてもそこを動こうとせず、勝手なことをしている我が子にがく然とした。それでもまだ事実が受け入れられず、担任不信は消えなかった。
 その後何度も学校に行き、我が子の勝手な行動を見て、これは担任の我が子の見方が問題ではなく我が子自身に原因があるという思いに変わった。何とか落ち着かせようと家で叱っていたが、ひどくなる一方だった。育て方が悪かったからかもしれないと自分を責め、悩んだ末、担任のすすめで発達障害の診断ができる医療機関に予約を入れた。半年後、広汎性発達障害(PDD)と診断され、なぜかほっとした。きっと私の養育のせいではないとわかったからだと思う。担当医から「その子にあった対応をすればパニックもかなり少なくなる」と言われ、学校での対応を教えていただいた。2年生の年度末のことであった。

 3年生になり担当医から教えていただいた具体的な対応を新担任にお願いした。@指示は一つずつ具体的にする。話し言葉だけではわからないこともあるので文字に書いて見せて理解させるとよい。A課題は多すぎるとパニックになりやすいので、少しずつやらせてステップアップしていく。時間も短く。そして課題ができたら必ずほめてやり、自分に自信が持てるようにする。ほうびとしてシールを貼っていくとよい。Bしかるときは他人や自分に危害が及ぶときだけにして、感情的にならず強く、短くしかる。Cだめという禁止の言葉を使わず、「○○にしてみよう」と誘う言葉にする等、子どもがパニックを起こさないようにする手だてを紙にまとめ、我が子の好きな物や好きなことなどのプロフィールもいっしょに入れて担任に渡した。こうして、親・医者・学校が協力して同じ歩調で我が子に対応していけるようになった。
 後で聞いてわかったことだが、軽度発達障害は早めに診断を受けてそれにあった対応をすることで社会生活にかなり適応できるそうである。診断を受けて本当によかったと思った。

 その後、お願いしたような対応をしてもらった結果、パニックがかなりおさまり、授業中もほとんど席を立たなくなり、勉強にも取り組むようになったと聞き、これでこの子も何とかやっていけるのではないかと少し安心した。勉強の途中で自分の世界に入り、お絵かきを楽しんでいる時間があると聞いたが、この時間を確保することによってパニックが少なくなるなら、多少の学習の遅れもしかたないと思えるようになった。家でも子どもが何をしたらよいか分からない時は作業でも勉強でも親が手伝っていっしょにやった。医者から手伝うことは知らないことを教えていくことと思ってくださいと言われていたので、甘やかしているのではないかという不安はなかった。

 2学期後半、勉強が難しくなるにつれ家で「どうせぼくなんか(何をしてもできないんだ)・・」という言葉がよく出るようになり、自分の頭を柱にぶつけたり、手をひっかくことを繰り返すようになった。同じ頃、学校でも同じ症状が出ていることや周りの子どもたちの中から、特別に配慮された対応の我が子に対する不満が出ていることを担任から連絡を受けた。「障害」という言葉で他の子どもたちに説明してもらおうかと思ったが、どうしてもそこまでは踏み切れず、悩んでしまった。幸い「障害」という言葉を使わなくても、工夫された温かい担任の言葉かけで、クラスの多くの子は少しずつ我が子への担任の対応を認めてくれるようになり、私の方も一つハードルを越えた気持ちになった。
 しかし、その後も自分は勉強がだめだという気持ちはあり、特に算数や理科の授業はパニックになりやすかった。担任と話し合って、算数については落ち着いた雰囲気の別室で行うことになった。この方法は子どもに合っていたようでやればできるという自信が少しずつ持てるようになっていった。また、音楽の授業で歌が上手だとみんなに認められることもあり、「どうせぼくなんか・・・」という言葉は少しずつ少なくなっていった。最近はパニックになりそうな授業になると自分から教室を出て、他の先生に勉強を教えてもらい、また教室に戻ってくるそうだ。きっと担任が声をかけてくださっているからだと思う。

 まだ、一部の子は我が子が特別に扱われていることに不満があるようなので心配はしている。しかし、対応方法がわかってからは私自身の心にゆとりができ、我が子は他の子よりも個性的なんだと思えるようになった。この先、進路など、問題はいろいろあるけれど、医者や学校とともに我が子に接していこうと思う。

<本体験で参考となること>
@ 子どもの気になる行動は何が要因であるかを医療機関にかかってはっきりさせ、その対応方法を決めたこと。
A 学校・医療機関と連絡を取り合い、症状にあった具体的な対応方法をその都度学校にお願いし早期に対応していったこと。
B 子どもは学級の中でかなり傷ついていることを把握し、子どもの行動を肯定的にとらえて、自己評価を高めるようにしたこと。

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