“精神病者”の権利はなかったのか?―ヨーロッパ精神医療史の落穂拾い― 
もどる  目次へ  すすむ  
【ゲールの住民との関係】

 ところでこれまであまり述べてこなかった、ゲールの住民と精神病者の関係に注目したいと思います。17世紀から18世紀にかけて、ゲールでは3回の布告が出されています。「多くの災難と悪事が狂人によって引き起こされているので、他者に危害を加えないように手枷・足枷をしなさい」というものです。ゲールでも、鉄製や皮製の拘束具が使われていましたけれども、いわゆる道徳的な治療法が叫ばれる19世紀になって初めて、その後進性が外国の見学者から批判されるようになります。しかしこの布告の出された当時の状況はまったく逆でした。患者に自由が与えられすぎているために、不祥事、自殺とか溺死とか火災が起こり、それは患者を預かる住民の監督不行き届きだと役人が言っているわけですね。しかし布告が3回も出されたことからわかるように、布告によって住民の態度はあまり変化していません。もっともこの記録で見る限り、18世紀だけで4000人以上が滞在したといわれるゲールの患者のうち、不祥事に実際に関わったという患者はごく一部に過ぎないわけですね。おそらく住民には危険な狂人という意識はほとんどなかったと思われます。むしろ、精神病者は滞在する家族の一員であって、特に違和感もなく暮らしていたと考えると合点がいく、というわけです。
 ここに面白い数字があります。18世紀の一時期、アントワープから243人という大量の貧困患者がゲールに送られてきました。このうちゲールから逃走したのはわずか3人です。巡礼者と違って、都市からゲールに送られた精神病患者に強い動機があったとは思えないんですけども、その患者のゲールへの定着率が高いということが注目されます。ゲールが「精神病者のパラダイス」と表現されることが多いんですが、この主張もあながち嘘ではないかもしれません。
 ここで一度精神病者の人権に立ち戻ってみたいと思います。冒頭で述べた論旨に従うと、今日的な意味で人権があったかなかったかということをゲールに関して問うことは、どだい無理で、意味がないと思います。確かに期待通りの「悲惨な精神病者」ばかりが存在したわけではないし、むしろ精神病者に与えられた特権があったりして、住民の精神病者に対する意識は、常に排除的であったとも思われないわけです。しかしこれを人権という概念から説明すべき事柄ではないと思います。一つだけ明白なことは、数百年前のゲールの精神病者の処遇は、今以上でも、今以下でもなくて、まったく別のシステムのもとで機能していた、ということになると思います。

もどる  目次へ  すすむ