文学と映画の対話 ―フランス・イタリアの作家作品を中心に 
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はじめに

 フランス文学が専門の私は、映画が誕生したころに世界で活動していたプルーストという作家を勉強していますが、ヨーロッパの長い文化の歴史の中で映画をどう位置づけるかという話をしていきます。
 文学と映画は、現代の前衛的なものに関しては言い切れませんが、何らかの物語を語るという共通性を持っています。この共通性があるにもかかわらず、共通性があるからこそ、文学と映画は常に愛憎相半ばするような関係を保ってきたと言えるのです。
 文学は、人類の誕生、社会生活が始まって以来の長い歴史を背後に持っています。映画が生まれた19世紀末とは、文学史的に言えば現代的な意味での小説が完成し、成熟を迎えた時代でした。一方で、映画は1895年にオーギュストとルイのリュミエール兄弟によって上映会が公開されており、これをもって映画の誕生としています。これは美しい偶然ですが、リュミエールとはフランス語で光という意味であり、光という名前の兄弟が映画を作り出したと言えます。彼らが最初の上映をしてからわずか100年余りの間に、映画は急速な成熟を遂げました。今や映画が芸術か否かという議論には全く意味がなく、映画はフランスでは「第7の芸術」と言われていますが、芸術の1つの表現分野、表現方法としてしっかり認められているのです。
 まず映画が誕生するまでを、そして映画が誕生する前後の文学を中心とする文化の歴史を概観することによって、何かを表現するメディア・手段として、映画をどのように位置づけることができるかを簡単に見てみたいと思います。主な内容としては、映画が文学に、そして文学が映画にどういう影響を与えてきたかということを考えていきます。

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